既覚亡之(既に覚むればこれ亡し)(「東坡志林」)
寝て起きたら土曜日になってたらいいのだが。

みんなどうしているかなあ。
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北宋のころです。
予在黄州、夢至西湖上。夢中亦知其為夢也。
予黄州に在りて、夢に西湖の上(ほとり)に至る。夢中、またその夢たるを知れり。
わしは湖北の黄州に左遷されていたとき、夢で江蘇の西湖のほとりに行った。夢の中で、これは夢だということを知っていた。
湖上有大殿三重、其東一殿題其額云弥勒下生。
湖上に大殿三重有り、その東一殿、その額に題して「弥勒下生」と云えり。
湖のほとりには大きな仏殿が三つあった。その中の東側の殿には額がかかっており、そこには「弥勒菩薩がおくだりあそばす(場所)」と題が書かれていた。
夢中云、是僕昔年所書。
夢中に云う、「これ、僕の昔年書くところなり」と。
夢の中で、わしは言った、「これはわしが以前書いた字じゃなあ・・・」と。
ひとりで立っていたつもりが、いつの間にか、
衆僧往来行道。
衆僧、往来して道を行けり。
たくさんの僧侶たちが、あちらからこちら、こちらからあちらへと歩き回っている。
よくよく見ると、
大半相識。弁才、海月、皆在。相見驚異。
大半相識れり。弁才、海月、みな在り。相見て驚異す。
たいていの僧侶は知っている者であった。弁才や海月など、みんないる。向こうもこちらがいるのを見て、互いに驚いた。
僕散衫策杖、謝諸人曰、夢中来遊、不及冠帯。
僕、散衫にして策杖すれば、諸人に謝して曰く、「夢中来遊す、冠帯に及ばず」と。
わしは短い羽織を羽織って杖をついていたから、まわりの僧侶たちに対して、
「夢の中でふらりとやってきたので、冠も帯もつけない普段着で来てしまったんじゃ」
と謝まっていた。
既覚亡之。
既に覚むればこれ亡し。
そこで目が覚めた。誰もいなかった。
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宋・蘇東坡「記夢」より(「東坡志林」)所収)。甘やかな夢であれば格別、坊主の夢なら覚めてもあまり惜しくなかったかも。坊主マニアだったら違うかも知れません。
日常だか非日常だかわからないのが、なんとなく夏目漱石の「夢十夜」に似ているような気もします。似ているとすれば、おそらく漱石がエンスパイアーされているのでしょう。
岡本全勝HPは今日も不動。
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