反以笑人(反って以て人を笑う)(「庸閒斎筆記」)
人を笑うと心も晴れ晴れ。みんな笑いたいですよね。

大笑いしているか、泣いているのか。
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清の嘉慶辛未年(1811)三月のことじゃが、恩錫さまが江蘇の太守に任命された日は、
天気頗炎、朝冠用皮、人多訝之。
天気すこぶる炎なるに、朝冠に皮を用いて、人多くこれを訝しめり。
たいへん暑い日だったのだが、恩錫は皇帝に拝謁する際のかぶりものに皮製の冠を用いていたので、多くのひとが変だと思った。
―――暑いので夏用の布製にするか、そうでなければ「絨」(毛織物)の縁取りをつけてないと・・・。
いやいや。
不知未換涼帽之前、朝冠無不皮者也。
知らず、いまだ涼帽に換うるの前には、朝冠は皮ならざるもの無きを。
夏用の帽子に衣替えする前は、拝謁用のかぶりものは皮製に決まっていたことを知らないのである。
其用絨縁者、乃宮嬪之冠。
その絨縁を用うるものは、すなわち宮嬪の冠なり。
毛織物の縁取りのついているのは、本来、女官のかぶりものだったのだ。
国家定制如此。
国家の定制かくの如し。
我が清朝の決まりはこうなのである。
明の文裕公・陸深さまが子孫に、自分のメモした先輩たちの言動を熟読するよう命じたときの言葉、
士君子有志用世、非兼通今古、何得言経綸。今世学者、亦有務為博洽、然問及朝廷典故、経制、沿革、恍如隔世、縦才華邁衆、終為俗学。
士君子は用世に志有れば、今古に兼ねて通ずるに非ずして何ぞ経綸を言うを得んや。今世の学者は、また博洽(はくこう)を為すに務むる有りて、然して問うこと朝廷の典故、経制、沿革に及ぶも、恍として隔世の如ければ、たとい才華の衆に邁(すぐ)れども、ついに俗学為らん。
われら知識人で責任ある者(「上級国民」と訳せるかも)が社会のために働こうという意志を持ったならば、現在の社会と過去の歴史とにともに通じなければ、世の中を経営していこうなどと言うことができるであろうか。いや、できない。
現代の学ぶ者が、博くあまねく知識を得ようと努力して、朝廷の典故、規則、変化などについて質疑したとしても、ぼんやりして現代の世間から隔てられているようだったら、たとえ才能は大多数の人より優れていたとしても、結局は役に立たない学問で終わってしまうであろう。
と。
此説、読書人不可不知。
この説、読書人知らざるべからず。
この言葉は、読書人は知らないわけにはいかないだろう。
ところが、
今直省文武各官、朝冠大率皆以絨縁、習而不察、反以笑人。
今、直省の文武各官、朝冠は大率みな絨縁を以てして、習いて察せず、反って以て人を笑う。
現在、中央省庁の文武のお役人たちは、拝謁用のかぶりものには大抵毛織物の縁取りをしている。習慣になってしまって、本質を察するができず、常識人のふりをして人を笑っているのである。
わっはっはっはっは。
亦可笑也。
また笑うべきなり。
やはり笑われるべきであろう。
なんと、お墨付きが。
わははは、わははは、わはははははははははは・・・
笑う門には福も健康も来るというんですから、笑わにゃそんそんです。
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清・陳其元「庸閒斎筆記」巻六より。わははは。それはおかしい。大のおっさんが女官の格好とは。こっちの方が笑えるようだからこちらに乗り替えよう・・・かな、と思ったが、まだあちらのやつの方が多いようだ。あちらにしておこうっと。
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