白髪老閑事(白髪、閑事に老いたり)(「唐詩選」)
老人性の抑うつだと言われるだけなので行く気にもなりませんが、やる気も元気もなくなってきた、いやもう前から無い、そのことに気づいたということであろうか。

これぐらいは役に立て・・・ないのであろう、もはや。
これは役に立ちますよ。
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三杯ぐらい飲むと気が大きくなって、髪の毛をしばって筆にして頭で字を書く張旭というやつがいるのである。そいつを交えて飲んで、大騒ぎした・・・あと、詩を送る。
世上漫相識、此翁殊不然。
世上みだりに相識るも、この翁はことに然らず。
この世の中ではいい加減な知り合いやら人脈やらあるわけだが、
このじじい(相手の張旭のことである)との関係だけはそうではない。
このじじいは、
興来書自聖、酔後語尤顛。
興来たりては書おのずから聖、酔うての後の語は尤も顛(てん)なり。
イマージュが湧いてくるとその書はおのずと「聖」というべきレベルになり、
酔っぱらった後の言葉は最高級にくるってくる。
白髪老閑事、青雲在目前。
白髪、閑事に老いたり、青雲、目前に在りき。
白髪のじじいだ。人生を無用なこと(書や酒)で無駄遣いしてきたのだ。
出世して青い雲をつかむ場面が、目の前にあったはずなのに。
まあしようがないであろう。問題は、
床頭一壺酒、能更幾回眠。
床頭の一壺酒、よくさらに幾回か眠れる。
ベッドの枕元には酒壺が一つだけあるが、
それであと何回、ぐっすり眠れるだろうかね。
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唐・高適「酔後贈張九旭」(酔うて後、張九旭に贈る)(「唐詩選」巻三所収)。
―――唐詩は酒のごとく、宋詩は茶のごとし。
といいまして、その好き嫌いの分かれるところですが、この詩は酔後の詩のくせにまだ酔っているようです。早く宋代のように一杯の茶で酔いから醒めて、自分を見つめ直してほしいものです。まだ酔って眠ろうというだから、このままだと酔生夢死ですよね。いやいや夢生酔死か。それでも「生」きていた、というのだからもういいのか。
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