皆逃帰矣(みな逃帰せん)(「桯史」)
イヤなところからはみんな逃げだしてしまいますからね。

時計おやじももういない。
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宋の時代、丞相にまで昇進した葉衡さまが、辞職して郷里の金華(南京)に帰ってきた。
不復問時事、但召布衣交。
また時事を問わず、ただ布衣のみを召して交わる。
二度と現在の政治社会のことは口にせず、呼んで付き合うのは役人以外の者だけだった。
ある日、
覚意中忽忽不怡、問諸客曰、某且死、所恨未知死後佳否耳。
意中に忽忽(こつこつ)として怡(よろこ)ばざるを覚え、諸客に問いて曰く、「某まさに死なんとす、恨むるところはいまだ死後の佳なるや否やを知らざるのみ」と。
心の中に突然、いやな気持ちが起こって、客人たちに向かって問うた。
「わしはもうすぐ死ぬだろう。死後の世界はいいところなのかそうでないのか、がわからないのだけが残念じゃなあ」
「え? ご存じない?」
一士人在下坐、作而対曰、佳甚。
一士人の下坐に在るが、作し対して曰く、「佳なること甚だし」と。
下座の方にいたある読書人が、自信ありげに答えて言った、
「それはもうすばらしいところに決まっております」
丞相は驚いて彼を見つめ、
問何以知之。
何を以てこれを知れるやを問う。
「なんでそんなことがわかるんじゃ」と訊いた。
答えて言う、
使死而不佳、死者皆逃帰矣。一死不反、是以知佳也。
死をして佳ならざらしめば、死者みな逃帰せん。一死も反らず、是を以て佳なるを知れり。
「死んだ後がよくないところなら、死んだやつはみんな逃げ帰ってきます。一人の死者も帰ってこないのですから、いいところに決まっています」
「我慢して帰ってきてないだけかも知れないではないか」
「たくさん帰ってきているぞ。ほれ、そこにも。見えないのか」
「足が無いのかもしれんぞ」
といった深刻な反論があるかと思ったのですが、
満座皆笑。
満座みな笑えり。
その場のひとたちはみんな笑った。
明年、丞相竟不起。
明年、丞相ついに起たず。
翌年、丞相はとうとう死んでしまった。
「丞相さまも、その後やっぱり帰ってこないんじゃ」
これは王観之どのが徳化県の知事をしていたとき、
暇日、為余戯言。
暇日、余のために戯言せり。
ひまな日に、部下であったわしにふざけて話してくれたことである。
でもほんとは笑いごとではないのではないだろうか。
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宋・岳珂「桯史」巻第二より。もう少し真剣に議論しておいてもらいたかったところですね。
豊臣秀吉も死にましたが、帰ってきません。彼が戻ってこないのはやはり〇〇は✕✕✕✕の▲▲だということがあの世からは丸見えなので、イヤになったからでは。・・・いよいよ復活かと思いましたが、この更新は予約単発ぽいですね。
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