11月26日 今日はぺこぺこする仕事をしました

皆臥自搏(みな臥して自ら搏つ)(「後漢書」)

久しぶりでぺこぺこしまくり。

仕事と思えばいくらでも折る腰はございまする。みたいな感じ。

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後漢の趙熹、字・伯陽は河南・南陽のひとである。王莽の時代に名を知られはじめた。

少有節操。

従兄為人所殺、熹年十五、常思報之。乃挟兵結客、後遂往復仇。

ところが、

仇家皆疾病、無相距者。熹以因疾報殺、非仁者心、且釈之而去。

顧謂仇曰、爾曹若健、遠相避也。

仇皆臥自搏。

「自分を殴った」と直訳しましたが、「後漢書注」によればこれは「叩頭」のことである、がんがんと地面にぶつけるぐらい頭を下げたのだ、とのこと。

後病癒、悉自縛詣熹、熹不与相見、後竟殺之。

後、光武帝に仕えて大尉・関内侯に至った。

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「後漢書」巻二十六「伏侯宋蔡等列伝」より。わたくしも自ら縛り、殴ったりしてはたらいたのにヤラれてしまうかも。

しばらくは直らないらしいです。

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