11月23日 とん汁定食・うな重美味かった

憂心如酔(憂心酔うが如し)(「後漢書」)

 昨日はとんじる定食、今日はうな重だ。もうアタマ北ので浪費することにしました。この間までカネ無ければ古古古米食えと言ってたのに、今は食うな、生産者に応えられるやつだけ食え、と言っているのにアタマ北。だが親中派だと思われるといけませんので、アタマ北けど表面は「困ったことですなあ」といい人みたいに振る舞っておこうっと。

うまそうである。だがしばらく食わなかったので、農水大臣のいうとおり、コメは無くてももういいかな。

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後漢の霊帝(在位167~189)は学問好きであられたので、儒教の経典の講義をよく開き、その際、いつも大尉(首相クラス)の劉寛を同席させていた。劉寛は、尚書や京氏易(「周易」とは違いますよ)、韓詩などを若いころに学んで「通儒」といわれていた人である。しかもたいへん緩やか(寛厚)な人であった。

寛嘗於坐酒睡伏。

ある時、帝が問うた。

大尉酔邪。

寛仰対曰、臣不敢酔、但任重責大、憂心如酔。

「ううむ」

帝重其言。

ということである。

劉寛はえらい人なんですが、

簡略嗜酒、不好盥浴。京師以為諺。

こんなこともございました。

嘗坐客、遣蒼頭市酒、迂久。

やがて、そいつは、

大酔而還。

酒屋で待ち時間に一杯、のつもりが大酒になってしまったのである。

客不堪之罵曰、畜産。

すると、劉寛が色を成して言った、

此人也。罵言畜産、辱執甚焉。

と。けだし、お客には頭に来ることでも、劉の家では日常的なことでしかなかったのであろう。

まだいろいろあるのですが、何にせよ後漢末の乱世を中平二年(185)まで生き抜いて、六十六歳で平穏に亡くなったのは大したものである、と評される。

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「後漢書」巻二五「卓魯魏劉列伝」より。最後の「劉」が劉寛のことです。自分にも他人にも寛厚(ルーズ)で、いい感じではありませんか。お風呂も入らないし。どうせ衰えていくのなら、こんな感じの政治がいいのでは。

全勝さんのHPも動きなし

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