憂心如酔(憂心酔うが如し)(「後漢書」)
昨日はとんじる定食、今日はうな重だ。もうアタマ北ので浪費することにしました。この間までカネ無ければ古古古米食えと言ってたのに、今は食うな、生産者に応えられるやつだけ食え、と言っているのにアタマ北。だが親中派だと思われるといけませんので、アタマ北けど表面は「困ったことですなあ」といい人みたいに振る舞っておこうっと。

うまそうである。だがしばらく食わなかったので、農水大臣のいうとおり、コメは無くてももういいかな。
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後漢の霊帝(在位167~189)は学問好きであられたので、儒教の経典の講義をよく開き、その際、いつも大尉(首相クラス)の劉寛を同席させていた。劉寛は、尚書や京氏易(「周易」とは違いますよ)、韓詩などを若いころに学んで「通儒」といわれていた人である。しかもたいへん緩やか(寛厚)な人であった。
寛嘗於坐酒睡伏。
寛、嘗(つね)に坐において酒に睡伏す。
劉寛は、講義の時、いつも飲酒しており、居眠りをして俯いているのだった。
ある時、帝が問うた。
大尉酔邪。
大尉、酔えるか。
「大臣、酔っておられるのではないか?」
寛仰対曰、臣不敢酔、但任重責大、憂心如酔。
寛、仰対して曰く、臣敢えて酔わず、ただ任重く責大、憂心酔うが如くなり。
劉寛はやおら顔を挙げて答えた、
「臣はどうして酔っておりましょう。ただ、己の任務の重さと責任の大きさに、心配する気持ちが強くて、酔ったかのようになっているのでございます」
と。
「ううむ」
帝重其言。
帝はその言を重んぜり。
帝はそのコトバに感心された。
ということである。
劉寛はえらい人なんですが、
簡略嗜酒、不好盥浴。京師以為諺。
「簡略にして酒を嗜(この)み、盥浴を好まず」。京師以て諺と為す。
「(大尉の劉おやじは)簡素で率直で、お酒大好き、手を洗ったり風呂に入るの大嫌い」と、都・洛陽では言いはやされていたのである。
こんなこともございました。
嘗坐客、遣蒼頭市酒、迂久。
嘗て客と坐し、蒼頭(そうとう)をして酒を市(か)わしむるに、迂にして久。
ある時、お客さんが来たので、召使いにお酒を買いにいかせた。だが、なかなか帰ってこない。
やがて、そいつは、
大酔而還。
大酔して還る。
酔っぱらって帰ってきた。
酒屋で待ち時間に一杯、のつもりが大酒になってしまったのである。
客不堪之罵曰、畜産。
客、これに堪えずして罵りて曰く、「畜産」と。
お客はアタマに来て怒鳴って言った、「おまえはドウブツから生まれたのか!」と。
すると、劉寛が色を成して言った、
此人也。罵言畜産、辱執甚焉。
「これ人なり。罵りて畜産と言うは、辱執甚だし」
「こいつは人間だ。ドウブツ生まれと怒鳴るのは、屈辱的に過ぎますぞ!」
と。けだし、お客には頭に来ることでも、劉の家では日常的なことでしかなかったのであろう。
まだいろいろあるのですが、何にせよ後漢末の乱世を中平二年(185)まで生き抜いて、六十六歳で平穏に亡くなったのは大したものである、と評される。
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「後漢書」巻二五「卓魯魏劉列伝」より。最後の「劉」が劉寛のことです。自分にも他人にも寛厚(ルーズ)で、いい感じではありませんか。お風呂も入らないし。どうせ衰えていくのなら、こんな感じの政治がいいのでは。
全勝さんのHPも動きなし。
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