莫不流涕(涕を流さざる莫(な)し)(「唐才子伝」)
最近別に涙なんか出ませんけどね。

涙も流さず、前衛的へのへの絵を描くでブー。
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晩唐のひと周朴は字・見素、福建・長楽のひとである。嵩山というと河南にあるのが有名ですが、福建にも同じ名前の山があって、その福建の嵩山に隠棲していた。詩を作るに巧みで、いつもある程度できたあとにいろいろ推敲し、
詩家称為月鍛季煉。
詩家称して「月鍛季煉」と為せり。
詩人仲間たちは彼の推敲の徹底ぶりを「一か月間きたえぬき、三か月間火中で煉り直す」と言っていた。
とにかく推敲時間が長いのだが、最初の出来がいいので、結局そのままになることが常であった。
未及成篇、已播人口。
いまだ篇を成すに及ばざるに、已に人口に播せり。
まだ一篇が完成していなうちに、もう人々が彼の詩を口ずさむ。
当時はこのような人気詩人であったのだ。
しかるに、
朴本無奮名競利之心。
朴、もとより奮名競利の心無し。
周朴には、もとから名前を売ろうとか人と利益を競おうといった気持ちが無いのである。
このため、どれほど勧められても中央に出てくることはなかった。
ところが、乾符年間(874~879)のこと、
為巣賊所得。
巣賊の得るところと為る。
黄巣の乱に巻き込まれ、反乱軍に捕らえられてしまった。
黄巣はもとから周朴の詩名を知っていたので、
能従我乎。
よく我に従わんや。
「どうじゃ、わしについてこんか?」
と訊いたのであったが、周朴答えて言う、
我尚不仕天子、安能従賊。
我なお天子に仕えざるに、いずくんぞ能く賊に従わんや。
「わしは天子にさえ仕えてない在野の知識人じゃ。どうして賊(反乱軍)に参加することがあるんじゃ?」
と。
賊と罵られて、「おのれ、老い耄れめ!」「うひゃー!」
巣怒斬之。遠近聞之、莫不流涕。
巣、怒りてこれを斬る。遠近これを聞きて、涕を流さざる莫し。
黄巣は怒って周朴を斬り殺した。遠いところの者も近いところの者も、このことを聞いて涙を流さない者はいなかった。
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元・辛文房「唐才子伝」巻九より(一部「唐詩紀事」巻七一を参照した)。わしも在野の詩人として、反乱軍来たらこんな感じでやられてしまおうかと思います。遠近とも、涙を流すどころかにこやかに笑って、聞くであろうかと思いますけれども。
こちらは今日もうんともすんとも音信なしです。そろそろ怒って復活すると思いますが。
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