精神不衰(精神衰えず)(「東坡志林」)
昨日スマホが壊れたので、新しいのを買ってしまう。もう要らないように思うのですが、精神力が弱いのであろう。

「ニンゲンさまが釣ってやるのじゃ、ありがたく思え」「ばーか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北宋の時代のことですが、四川・眉州のひと任達がわし(東坡居士)に言うには、
少時見人家畜数百魚深池中。沿池磚甃、四周皆屋舎、環繞方丈間、凡三十余年。
少時、人家に数百魚を深池中に畜(やしな)うを見る。池に磚甃(せんしゅう)を沿わせ、四周はみな屋舎にして、方丈の間を環繞すること、およそ三十年なり。
若いころ、誰かの家で、数百匹の魚を飼っているのを見た。その家では、深い池の中に魚を入れ、その池のまわりはレンガと瓦で覆い、四方はすべて建物を立て、一丈(宋代の一丈≒3.1メートル)四方の池のまわりを取り囲んで、だいたい三十年ぐらい経つとのこと。
そして、その池の中で、魚たちは、
日加長。
日に長さを加う。
日に日に成長していたという。
一日天晴無雷、池中忽発大声如風雨、魚皆踊起。
一日(いちじつ)、天晴れて雷無きに、池中たちまち大声を発すること風雨の如く、魚みな踊起す。
ある日のこと、空は晴れてカミナリも無いのに、池の中から突然大きな音が轟いた。まるで暴風雨の音のようであった。魚たちはこのとき、池の中から空に躍り上がったのである。
そして、
羊角而上、不知所往。
羊角して上り、往くところを知らず。
ヒツジの角のようにぐるぐる螺旋状に回りながら空中に昇り、やがてどこかに行ってしまった。
「羊角」は、「らせん」のことです。
任達が言うには、
旧説不以神守、則為蛟龍所取、此殆是爾。
旧説には神守を以てせざれば、すなわち蛟龍の取るところとなり、これ殆(あや)うきこと是なるのみ、と。
「昔から言われているところでは、神さまに守ってもらわないと、魚を水龍(みづち)が来て取って行くのだ、と。彼らが養っている人間のスキを狙ってくる危険さは、このようなものと考えてもらえばいい」
そうかなあ。
余以為蛟龍必因風雨、疑此魚圏局三十余年、日有騰抜之念、精神不衰、久而自達。
余、以為(おもえ)らく、蛟龍は必ず風雨に因り、疑うらくはこの魚、圏局さること三十余年、日に騰抜の念有りて精神衰えず、久しくして自達せるものならんか。
わしは思った。---水龍は必ず風と雨に伴って現れるもの。(したがってこの事件は水龍には関係がなく、)この池の中の魚が、三十年にわたって閉じ込められてきたが、来る日も来る日も池から飛び上がって脱け出してやるという強い思いを持ち、その精神が長く衰えるときも無く、長い時間を経ておのずと飛び出したのであろう。
理自然爾。
理において自然なるのみ。
その方が理屈に合うというものだ。
すごい精神力を持っていると言って差し支えない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・蘇東坡「東坡志林」巻三より。任達と蘇東坡、どちらの説が正しいと思いますか?
全勝さんはまた沈黙中のようです。PC動き始めたら一日十個ぐらい更新しだすのでは。
コメントを残す