思鳴之無晨(思鳴の晨(あした)無し)(「後漢書」)
クマでなければ何でもいい、トラでもネズミでも、という時代になってきております。

朝早くから起こしてやるでコケー!
そういえば全勝さんはどうしているでコケ? 今日も更新なし?
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漢の衛青将軍は、もともと平陽公主さまの家の奴隷の息子であった。あるとき、
相者見之、曰、貴人。官至封侯。
相者これを見て曰く、「貴人なり。官は封侯に至らん」と。
人相見が彼を見て、言った。「おえらい方じゃなあ。いずれ封建貴族になりますぞ」
衛青は答えて言った、
人奴之生、無笞罵足矣。安得封侯哉。
人奴の生、笞・罵無ければ足る。いずくんぞ封侯を得んや。
「奴隷の人生ですぞ。ムチで打たれ罵られるようなことが無ければ、と願っているだけです。封建貴族?なんですかそれは」
この時、彼には
庸力之不暇、思鳴之無晨。何意裂膏腴、享崇号乎。
庸力の暇あらず、思鳴の晨無し。何ぞ膏腴を裂き、崇号を享(う)くるを意(おも)わん。
「三国志・呉」諸葛瑾伝に曰く、
失旦之鶏、復思一鳴。
失旦の鶏は、また一鳴を思うなり。
朝鳴くことをしくじってしまったニワトリは、次こそうまく鳴こうと思うものでございます。(今一度だけチャンスを)
「思鳴の晨(あした)無し」というのは、チャンスを一度さえ与えてもらえるはずがない、という意味です。
力仕事のヒマさえなく、もちろん手柄を立てるチャンスなんか回ってくるはずはなかった。そんな状況で、どうしてあぶらの乗ったウマい肉を裂いて食べ、尊い称号を得るなんてことを考えられたであろうか。(考えられるはずがない。)
その後、衛青は姉が公主のところに遊びに来た武帝に見初められ、やがて取り立てられて辺境の軍事に携わると才能を発揮し、大将軍にまでなったのである。まことに、東方朔の評、
用之則為虎、不用則為鼠。
これを用うれば虎と為り、用いざれば鼠たらん。
この人に仕事を与えればトラのようにすべて成し遂げるだろう。与えなければネズミのようにこそこそと盗み食いするだけだ。
とは、
信矣。
信なるかな。
ほんとうだなあ。
後漢の人でこの言葉に当てはまるのは、竇太后の甥で、そのことを笠に着て好き放題していたため捕らわれて死刑に問われた竇憲であろう。憲は罪を逃れるために辺境での軍事に志願し、匈奴の単于を破って大将軍の称号を得たのだ。
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「後漢書」竇融列伝第十三より「論竇憲」(竇憲を論ず)。ただ、竇憲さまはその後また西域に権勢を振るい過ぎて、呼び返された後、自死を賜ったのが、平穏に死んだ衛青とは違うのである。
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