11月17日 冬になって来たんで朝起きるのイヤです

思鳴之無晨(思鳴の晨(あした)無し)(「後漢書」)

クマでなければ何でもいい、トラでもネズミでも、という時代になってきております。

朝早くから起こしてやるでコケー!
そういえば全勝さんはどうしているでコケ? 今日も更新なし?

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漢の衛青将軍は、もともと平陽公主さまの家の奴隷の息子であった。あるとき、

相者見之、曰、貴人。官至封侯。

衛青は答えて言った、

人奴之生、無笞罵足矣。安得封侯哉。

この時、彼には

庸力之不暇、思鳴之無晨。何意裂膏腴、享崇号乎。

「三国志・呉」諸葛瑾伝に曰く、

失旦之鶏、復思一鳴。

「思鳴の晨(あした)無し」というのは、チャンスを一度さえ与えてもらえるはずがない、という意味です。

その後、衛青は姉が公主のところに遊びに来た武帝に見初められ、やがて取り立てられて辺境の軍事に携わると才能を発揮し、大将軍にまでなったのである。まことに、東方朔の評、

用之則為虎、不用則為鼠。

とは、

信矣。

後漢の人でこの言葉に当てはまるのは、竇太后の甥で、そのことを笠に着て好き放題していたため捕らわれて死刑に問われた竇憲であろう。憲は罪を逃れるために辺境での軍事に志願し、匈奴の単于を破って大将軍の称号を得たのだ。
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「後漢書」竇融列伝第十三より「論竇憲」(竇憲を論ず)。ただ、竇憲さまはその後また西域に権勢を振るい過ぎて、呼び返された後、自死を賜ったのが、平穏に死んだ衛青とは違うのである。

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