不復出矣(また出でざるなり)(「唐才子伝」)
わたしももう出ません。

ときどき人里に出ている間に、SNSで出現情報が流されるほどの最大の社会悪となってしまったでクマー。去年の今頃はここまでの低評価ではなかったと思うのでクマが。(ヤマアラシは附録でアラシ)
全勝さんところはなかなか一日二項目にならないですね。
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唐の顧非熊は――「熊に非ず」ですからね。現在社会の最大の敵とされるクマではありません――姑蘇の人、
性滑稽好弁、頗雑笑言、凌轢気焔子弟。
性、滑稽にして弁を好み、頗る笑言を雑え、気焔の子弟を凌轢す。
性格として滑稽で、論争が好きで、その中には笑い話をたくさん交えて、気位の高いいいところの子弟たちをやっつけていた。
そういうわけで、
既犯衆怒、擠排者紛然。
既に衆怒を犯し、擠排する者紛然たり。
多くの人たちの怒りを浴び、陥れ押し退けようというひとがたくさんいた。
人間的な評判が悪いので、科挙試験を三十年間受け続けたが、必ず横やりを出すひとがいて、ずっと合格しなかった。社会悪とされてしまったのです。
会昌五年(845)の試験にも合格しなかったのだが、彼の詩を知っていた武宗皇帝が、
怪其不第、勅有司進所試文章、追榜放令及第。
その第せざるを怪しみ、有司に勅して試みるところの文章を進めしめ、榜放に追いて及第せしむ。
彼が合格していないのを不思議がって、試験事務局から不合格にした文章を届けさせて、(すばらしい作品なので)不合格にした結果発表に追加して合格させた。
かくして盱貽(くい)県の主簿(事務長)の官職を授けられたが、
不楽拝迎、更厭鞭撻、因棄官帰隠。
拝迎を楽しまず、更に鞭撻を厭い、因りて官を棄てて帰隠す。
新任の挨拶や出迎えの礼儀が楽しくないし、さらには上司に指示や叱責を受けるのをいやがって、官職を棄てて郷里に帰り、隠棲してしまった。
時餞別吟贈、倶名流。
時に餞別して吟贈するは、ともに名流なり。
この時、別れの会に出席して詩を贈ったものは、みんな有名人ばかりであった。
その後、
不知所終。
終わるところを知らず。
どこで死んだかわからない。
いや、ある人が言うには、
住茅山十数年、一旦遇異人、相随入深谷、不復出矣。
茅山に住まうこと十数年、一旦異人に遇い、相随いて深谷に入りてまた出でざるなり、と。
仙界に近いといわれ多くの道士の住む茅山(ぼうざん)に十数年暮らしていて、ある朝、不思議な人と出会って、その人について深い谷に入って行った。それから二度と出てこないのだ。
異人さんに連れられて行ってしまったのである。あるいは谷でクマに出会って、異人さんとともにほふられたのかも。
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元・辛文房「唐才子伝」巻七より。太陽光発電や温暖化や何やらになって山中で暮らせなくなると、クマのようにまた出てくるかも知れません。気をつけなければ。
観ネコ記 令和7年11月15日
神宮行かずに戸田で観ネコ。困ったことです。



右端のバグネコがいよいよ失明してしまったので、縄張り争いを気にしなくてよくなったハチ(真ん中)が仲良くなってしまい、二匹でメシを食うまでに関係が良好に。


バグネコだ。死んでるのではありません。しりたたき→ごろん→そのまま眠ったように動かなくなる。しばらくして起きてきてしりたたき要求。ハチも要求するのでたいへん忙しかった。


それよりこいつだ。白ミケだが、ハウスの場所を変えてもらってタヌキストレスから解放されたらすごい食欲を発揮。先週から三倍ぐらいでかくなっている。

これが先週。どうやったらこんなに太れるんや。態度もでかくなっています。


しにかけシロが生きてました。三週間ぶりで登場。足は治っているように見えるのですが、目が見えないのであまり動かない。しかしメシを用意するとすぐ寄ってくる。だが撫でてやろうとするとシャーをしてくる。腹立ってきた。虐待してやるぜ。今度な。
仕事的なことで忙しいんですが、明日は観タマしないとなあ。体が鈍ってしまうからなあ。
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