11月14日 まだいたのかといわれるかも

素帛有用(素帛の用有り)(「奇聞類記摘抄」)

たいていのモノに、用はあるでしょう。

どんどん書きますぞ。

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明の永楽年間(1403~24)のことである。

尚書の胡濚が国家の使いとして、四川にある張仙の祠にお参りしたときのことじゃ。

下山する途中で一人の老僧と出会った。僧は相当な高齢で、「白雲和尚」と名乗った。

臨別、贈胡公素帛一端。

そして、言うに、

出陜当有用。

「はあ」

公出陜果遇皇后哀詔。始信其能前知也。

白い布はそのまま喪服になったのである。

そんな話などもあってだんだん有名になった白雲和尚は、ついに帝に召し出されて、

至京師。朝士皆敬礼之、独欧陽主事不為礼。

仏教への反感もあったのである。

白雲呼之、曰、爾非永叔之裔。

欧陽永叔は、北宋の大儒で実務家であった欧陽脩(1007~1072)のことです。永楽年間から400年ばかり昔のものです。

「え? 名前も名乗っていないのに、なぜお分かりに・・・」

白雲和尚はそれに答えず、

永叔嘗贈我以詩。

探嚢出之、果文忠手筆也。

また、

宋元度牒具在焉。

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明・施顕卿「奇聞類紀摘抄」巻二より。すごいなあ。長生きの上に予知能力があるなんて、二刀流です。三年連続MVPぐらいのことは仕出かすでしょう。物持ちもいいみたいですから、ある程度の財産も貯えているのでは。フリーランスでもやっていけますよ。

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