11月13日 結局台風に裏切られ今日も出社

為是司驢(これ司驢ならん)(「何氏語林」)

人間担当よりはましかも。

人間の思い通りに動かないから、ウマより知的なんでケケケ。

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南朝斉の高帝(在位479~82)は、仏教信者として有名であった。北朝側にも仏教信徒は多く、慈悲に訴えることもできて、まさに仏の力で平和が保たれるのではないかと考えていたのであろう。

謝超宗は宋代の詩人で貴族の謝霊運の孫であった。高帝のもとで勅書の作成などに携わる黄門郎を仰せつかっていたが、

恃才使酒、多所凌忽。

在省常酔、上召見、問北方事。

超宗は答えて言った、

虜動来二十年矣。仏出亦無如之何。

「なにを言っておるのだ。おまえに仏の教えのなんたるかがわかるのか!」

忤旨、出為南郡王中軍司馬。

ある人、すぐに人事を聞きつけて、超宗のところにやってきて、言った、

聞有新命。定是何府。

超宗答えて曰く、

不知是司馬、為是司驢。既是驢府、政応為司驢。

もちろん馬とロバを言い違えて遊んでいるです。
南郡王は将来を見込まれた優秀な人で、謝超宗にも目をかけてくれました。やがて皇太子に建てられますが、太子のままで亡くなってしまった。謝超宗はそのあとで高帝を継いだ武帝のときにさらに遠い広州に飛ばされて、そこで死んだ。

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明・何良俊「何氏語林」巻二十五「任誕」(うそばかり言う)篇より。もっと仏教を勉強しないといけませんでしたね。宗教の役割は見直されねばならないようです。

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