為是司驢(これ司驢ならん)(「何氏語林」)
人間担当よりはましかも。

人間の思い通りに動かないから、ウマより知的なんでケケケ。
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南朝斉の高帝(在位479~82)は、仏教信者として有名であった。北朝側にも仏教信徒は多く、慈悲に訴えることもできて、まさに仏の力で平和が保たれるのではないかと考えていたのであろう。
謝超宗は宋代の詩人で貴族の謝霊運の孫であった。高帝のもとで勅書の作成などに携わる黄門郎を仰せつかっていたが、
恃才使酒、多所凌忽。
才を恃みて酒を使い、多く凌忽するところあり。
才能には自信があったがよく飲酒し、いろんな人に対して、上から目線でいい加減に扱うところがあった。
在省常酔、上召見、問北方事。
省に在りては常に酔うに、上召見して北方の事を問う。
役所にいるときも常に酔っているのだが、ある日、帝から呼び出しがあり、直接に北朝の様子についてご下問があった。
超宗は答えて言った、
虜動来二十年矣。仏出亦無如之何。
虜、動き来たりて二十年なり。仏出づるもまたこれを如何ともする無し。
「北のえびすどもは、もうこの二十年ぐらいいろいろ活動しております。仏さまが出現されても、やはりどうしようもございますまい」
「なにを言っておるのだ。おまえに仏の教えのなんたるかがわかるのか!」
忤旨、出為南郡王中軍司馬。
忤旨し、出でて南郡王の中軍司馬と為る。
帝のお気持ちに逆らってお怒りを受け、南郡王の中軍の補佐官、実際には王府のある雍州の警察署長に飛ばされた。
ある人、すぐに人事を聞きつけて、超宗のところにやってきて、言った、
聞有新命。定是何府。
新命有りと聞く。定めてこれ何の府ならん。
「新しい人事が発令されたと聞きましたぞ。いったいどこの地方ですかな」
超宗答えて曰く、
不知是司馬、為是司驢。既是驢府、政応為司驢。
これ司馬なるとは知らず、これ司驢ならん。既にこれ驢府、政まさに司驢を為すべし。
司馬(警察署長)ではないようだから、司驢(ロバ係)じゃろう。行き先は「驢府」とかいうところで、住民もみんなロバらしい。
もちろん馬とロバを言い違えて遊んでいるです。
南郡王は将来を見込まれた優秀な人で、謝超宗にも目をかけてくれました。やがて皇太子に建てられますが、太子のままで亡くなってしまった。謝超宗はそのあとで高帝を継いだ武帝のときにさらに遠い広州に飛ばされて、そこで死んだ。
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明・何良俊「何氏語林」巻二十五「任誕」(うそばかり言う)篇より。もっと仏教を勉強しないといけませんでしたね。宗教の役割は見直されねばならないようです。
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