忘之甚者(忘るるの甚だしき者あり)(「説苑」)
もうダメだ。約束も用事も人の名前も顔もすべて忘れるのです。まあいいか、全部忘れれば。しかし個人的な利害得失はなかなか忘れないのが困りものですのう。

テレビとインスタントラーメンにすべてを忘れる昭和の欲望などかわいいものではありませんか。
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魯公が孔子に問うた。
予聞忘之甚者、徙而忘其妻。有諸乎。
予、忘るるの甚だしき者を聞くに、徙(うつ)りてその妻を忘る。これ有りや。
「わしは、ひどい忘れん坊のことを聞いたことがある。そのひとは、引っ越ししたときに奥さんを忘れてきてしまった、ということだ」
「わはは、それは意図的だったのではございませんか」「いひひ」「えへへ」
と我々小人なら答えてしまうところですが、孔子は次のようにお答えになった。
此非忘之甚者也。忘之甚者忘其身。
これ忘るるの甚だしき者にはあらず。忘るるの甚だしき者はその身を忘る。
「それは、まだまだひどい忘れん坊とは言い難いですな。ひどい忘れん坊は自分の体を忘れてきてしまうものでございます」
公は言った、
可得聞与。
得て聞くべきか。
「(おもしろそうじゃなあ、)どういうことか教えてくれるかな?」
孔子曰く、
昔夏桀貴為天子、富有天下、不修禹之道、毀壊辟法、裂絶世祀、荒淫于楽、沈酗于酒。
昔、夏の桀、貴きことは天子にして富みは天下を有すも、禹の道を修めず、毀壊して法を辟(さ)け、世祠を裂絶し、楽に荒淫し、酒に沈酗(ちんく)す。
昔、(紀元前16世紀ごろ?)、夏の桀王は身分は天子、財産は天下、という境遇にありながら、始祖の禹王のやったこと(徳政、勤勉)を行わず、決まり事を壊してしまい、代々の先祖のお祀りを止めてしまい、音楽に耽溺し、酒びたりになってしまったのでございました」
「その人が身を忘れた人なのかな?」
其臣有左師触龍者、諂諛不止。
その臣に左師・触龍なる者有りて、諂諛(てんゆ)止まず。
「いやいや、桀王の部下に左大臣・触龍というひとがいたんです。彼は王にへつらいお世辞を言い続けた。
湯誅桀、左師触龍者身死四支不同壇而居。此忘其身者也。
湯、桀を誅(ころ)し、左師・触龍なる者は身死して四支壇を同じうして居らず。これその身を忘るる者なり。
殷の湯王が天命を受けて桀王をぶっ殺しました。この時、左大臣・触龍は死んでしまったのですが、単に死んだだけでなく、両手両足バラバラにされて、すべて別々の高さの階段に散らばってしまった。これこそ、(ただ死んだというだけでなく、)体を置き忘れてきてしまった、というものでございます」
公愁然変色、曰善。
公、愁然として色を変じて曰く、「善し」と。
魯公は悲しそうな顔つきになって、言った、「いい話だなあ」と。
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漢・劉向「説苑」巻十「敬慎篇」より。批判されている問題は「音楽の耽溺」と「酒びたり」だけのようです。現代ならもっとヤバイ楽しみはたくさんありますからね。毎日毎日これらを勧めて止まないテレビなんかバラバラ一万回くらいでも済まないかも。あんまり見ないように「敬慎」しないといけません。
専門家作ってもどんどん忘れてしまうかも知れません。もうかれば覚えていると思うんですが。全勝さんのHPは見ることができますが、問い合わせができなくなってしまっているようです。
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