走風塵下(風塵の下を走る)(「唐才子伝」)
物価上がっても風塵の下を走り回ってカネを稼ぐのはムリなので、切り詰めることにいたします。

「物価上がってしようがないから月でも食って暮らすでガオー」。オオカミも経済界などには従順なものである。
なお、外国の方々も「ニホンで食べるのもオツじゃなあ」と日本でワインやビフテキやカレーライスを食べてくれていると思います。
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唐の沈千運は呉興のひとである。天宝年間(742~756)、何度か科挙に応じたが合格せず、
其時多艱、自知屯蹇、遂浩然有帰歟之志。還山中別業。
その時には艱多く、自ら屯・蹇を知り、遂に浩然として帰歟(帰らんか)の志有り。山中の別業に還る。
時代に困難が多く(安禄山の乱が近い)、自分の運勢も「易」でいう「屯」(芽が出ない)、「蹇」(行き悩む)の状態であることを認識し、ついにきれいさっぱりと帰郷しようという気持ちが強くなった。やがて山中にあった(荘園の)別荘に隠れ棲んでしまったのである。
友人たちに次のように言い残した。
衡門之下、可以棲遅。有薄田園、児稼女織。偃仰今古、自足此生。誰能作小吏、走風塵下乎。
衡門の下、以て棲遅すべし。薄(いささ)か田園有り、児は稼ぎ女は織らん。今古を偃(ふ)し仰ぐに、自らこの生に足れりとす。誰か能く小吏と作(な)りて、風塵の下を走らんや。
横木一本の粗末な門の下(を入っていくような田舎の貧家)では、のんびりと暮らすことができるだろう―――と古人が言っているが、わしには狭いが田んぼも畑もある。息子は耕作をするだろうし、娘は織物をするだろう。歴史を上から見たり下から見たりして、(思い通りに生きて成功したやつなんかいないのだから)わしはどうやらこの人生で十分なようだ。
それにしてもいったい誰が、下っ端役人になって、風塵の下を駆け回るたがるものだろうか。
全くです。
友人の中に、盛唐の詩人・高適がいた。高適の彼を送る詩が遺っている。
還山吟、天高日暮寒山深、送君還山識君心。人生老大須恣意、看君解作一生事。(中略)白雲勧尽杯中物、明月相随何処眠。
還山吟、天高く日暮れて寒山深からんに、君が山に還るを送りて君が心を識る。人生老大意を恣(ほしいまま)にすべく、君が一生の事を解作せんことを看る。・・・白雲は杯中の物を尽くさんことを勧め、明月はいずれの処にか眠らんと相随わん。
山に帰るの歌---奥深い山の中では、空の高いところに日は沈んでしまい、山中は寒々としているだろう。おまえさんが山中に帰るのを送りながら、おまえさんの気持ちがわからないではない。
人生、老いてくれば、やりたいようにするしかない。おまえさんはこれまでのいろんなことを解きほぐそうとしているのだと理解する。・・・
(さて、山中へ行けば、わしら友人たちの代わりに)白雲がさかずきの中の酒を飲み干せと勧めてくれるだろう。明月がおまえさんの寝ようとするところについてきてくれるだろう。
如何にも盛唐の丈高い雄壮な詩である。
安禄山の乱が収まった後、粛宗皇帝が彼を召し出そうとしたが、その手続きの最中に、
会卒而罷。
卒するに会して罷む。
死んだという情報が入ったので取りやめとなった。
果たして召したとしてそれに応じたかどうか、今となってはわからない。
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元・辛文房「唐才子伝」巻二より。呼ばれたって「ほいほい」と風塵の下に出かけるはずありませんよね。
今日は風塵の下、戸田彩湖公園にご機嫌伺いに行ってまいりました。
観ネコ記 令和7年11月2日


ニャンだ?と睨んでいますが、この「手前ミケ」はこのあとおしりを少し叩いただけで回転ネコに。何度も自分で転がって背中を地面にこすりつけて楽しんでいるのですが、どうやら開始時にはにゃんげんにおしりをたたかれなければならない、という決まりがあるみたいなんです。


「おまえ生きとったんか」から「ごろーん」になっているのは、通称「白ミケ」です。なんか肥ってきたなあ。このネコは膝に登ってくるんですが、今日は登ったところで突然キレて指を咬んできました。足痛で貼ってあるシップの臭いにキレたか。


右は「バグミケ」。痛めた足はもう引きずってはいないのですが、まだ何か違和感があるようで、転がる時に手助けしてやるとごろりと転がります。左は久しぶりに出てきた「ハチ」。


後ろ足の揃い方がなんだか不自然な「バグ」さま、「あいつ飯食ってばっかりニャンぞ」と批判的ですが、「ハチ」もしりたたきすると変な声を出し、頭をぎゅうぎゅうするとぎゅうぎゅう仕返してくるなど反応します。
駐車場入り口のシロネコは見当たらず。びびり執事ネコがいました。
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