取廟中物(廟中の物を取る)(「列仙伝」)
都内某所にて、塩辛のせジャガバターを食べてきました。美味かった。カネや権力や名誉よりも重要である。

カネよりもバターやたらたっぷりのジャガ食いたいでガマ。しかも塩辛のせとは。

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漢の時代のことですが、服閭(ふく・りょ)という者がおった。いずれの地の出身か分からないが、山東の莒の町に暮らしていた。
往来海辺諸祠中、有三仙人、於祠中博賭瓜。
海辺の諸祠中を往来するに、三仙人の、祠中に瓜を博賭する有り。
黄海沿岸のいくつかの神祠を行き来していたところ、ある日、とある祠で三人の仙人がウリを賭けて博打をしているのに出くわした。
しばらく賭けをみていると、
「よっしゃ!」
と一人の仙人が勝って、ウリを独占した。仙人は
顧閭令担黄白瓜数十頭、教令瞑目、及覚、乃在方丈山、在蓬莱山南。
閭を顧みて、黄白の瓜数十頭を担がしめ、教えて瞑目せしめて、覚むるに及べば、すなわち方丈山に在り、蓬莱山の南に在り。
服閭の方を振り返って、「ちょうどいい、このウリを担いでくれ」と黄色と白のウリ数十個を担がせ、「しばらく目を閉じているのじゃ」と教え、ついで目を開けてみると、東海にある仙山の一つ、方丈山に来ていたのだった。ここは蓬莱山よりさらに南にあるのだ。
そんなことがあってから、服閭は、
後、往来莒、取方丈山上珍宝珠玉、売之久矣。
後、莒と往来して、方丈山上の珍宝珠玉を取りてこれを売ること久し。
その後、(方丈山と)莒の町の間を往復して、方丈山にある珍しい宝物や真珠や玉飾りなどを持って来て、その売却をずいぶん長いことしていた。
一旦、髠頭着赭衣、容貌更老。
一旦、髠頭(こんとう)にして赭衣(しゃい)を着け、容貌老に更(か)われり。
ある日、頭の上を剃られて赤い服を着せられて、容貌も突然老人に変わっていた。
「髠頭」は髪の毛を剃られた状態で、罪人の姿です。また、赤い服も罪人が作業などの時に着せられるものです。容貌は普段は若いまま変わらなかったのだが、浦島太郎がハコを開けたかのように、本来の年齢に相応しいものに変わっていたのです。
「いったいどうなされたのかね」
と人が問うに、答えて、
坐取廟中物。
廟中の物を取るに坐せり。
「高級な神廟のお供え物を盗んだ罪に問われてしまったのじゃ」
と言った。
後数年、容貌更壮好、鬢髪如往日時矣。
後、数年、容貌壮好に更(か)わり、鬢髪往日時の如かりき。
数年経つと、また壮年のかっこよい容貌に変わり、髪もヒゲも以前のとおりになった。
刑期が過ぎたのである。
すばらしい。
今こそあれ我も昔は男山さかゆく時もありこしものを (古今・詠み人知らず)
(今でこそこのようであるが、わしだってむかしは京都近郊の「男山の坂」のように、男さかりのころもあったのじゃがなあ。)
という心意気、わしらももう一度何か仕出かすかもよ。
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伝・漢・劉向「列仙伝」巻下より。仙界と現世とは倫理や犯罪の認識が違っているようです。労働契約の在り方も違うのでしょう。
富と権力と名誉のほかに「仙人になる」という第四の道もあるのです。みなさんがどんなにカネと権力と名誉を独占して持っていたとしても、たとえば「肝冷斎が仙人になったらしい」と聞けば、羨ましくて仕方なくなることでございましょう。
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