10月29日 今日は二言ぐらいしゃべった

一何武也(一に何ぞ武なる)(「続漢書」)

あんまり喋らないので朴訥な人と思われているかも。しゃべらないんではなくて人と会わないだけなのですが。

今日は上弦の月だったのか。人と会わないので情報がないんです。

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前漢末、王莽政権の大混乱期のことですが、南陽の李通は新野の劉氏、すなわち劉伯升、劉秀兄弟が天下を取るであろうと考え、なんとか深く結びたいものと思い、いとこの李軼を通じて連絡を取ろうとしていた。

ところで、これより先、

李通同母弟申徒臣能為医、難使、伯升殺之。

その後、伯升も当時権力を握っていた更始帝一派に殺されてしまいましたが、伯升の弟・劉秀は

恐其怨、不欲与軼相見。

しかしながら、

軼数請。乃強見之。

そこで、李軼に、今度は李通と会うように説得された。・

しかしながら、

意不安、買半臿佩刀懐之。

「臿」(そう)は、キネを両手で持ってウスの上で上げ下げして穀物等を搗く姿を写した象形です。これに手へんをつけた「挿」(そう)の字の原字なのですが、「挿」は(キネ以外の)何かを手に取ってどこかに挿しこむ行為である「はさむ」「手挟む」の意味を持つようになり、「臿」の字にもその意味が反映されるようになりました。この「半臿」は、「半ば差し込む(程度の長さ)」という、普通より短いもの、を指します。

至通舎、通甚悦、握上手、得半臿刀。

(ばれたか?)

と劉秀は一瞬身構えたが、李通は、さらに喜んで言った。

一何武也。

これなら、この乱世に頼りになりそうですな・・・」

劉秀は言った、

倉卒時以備、不虞耳。

(それだけのためです。自ら抜くことなど考えていない)」

「なるほど」

というわけで、二人は親友になったのでございます。

この劉秀がのちの光武帝であり、李通はその活動を支えていくことになるのでございます。

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晋・司馬彪「続漢書」(「後漢書」巻十五注所引)より。見つかったときはやばかったですね。あんまり人と付き合おうとしないやつは、こんなもの持っているかも知れません。ひっひっひ。あまり話しかけないでほしいものです。ただし、校正とかの依頼はオーケー。黙ってやれるので。

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