一何武也(一に何ぞ武なる)(「続漢書」)
あんまり喋らないので朴訥な人と思われているかも。しゃべらないんではなくて人と会わないだけなのですが。

今日は上弦の月だったのか。人と会わないので情報がないんです。
・・・・・・・・・・・
前漢末、王莽政権の大混乱期のことですが、南陽の李通は新野の劉氏、すなわち劉伯升、劉秀兄弟が天下を取るであろうと考え、なんとか深く結びたいものと思い、いとこの李軼を通じて連絡を取ろうとしていた。
ところで、これより先、
李通同母弟申徒臣能為医、難使、伯升殺之。
李通同母弟・申徒臣よく医を為すも使い難く、伯升これを殺せり。
李の同母弟(ということは異父弟)の申徒医というおとこがいて、こいつは優秀な医師だったので側近にしたいところなのだが、いろいろ難しいところがあって、伯升は彼を殺してしまった。
その後、伯升も当時権力を握っていた更始帝一派に殺されてしまいましたが、伯升の弟・劉秀は
恐其怨、不欲与軼相見。
その怨みあるを恐れて、軼(いつ)と相見るを欲せず。
李通グループに怨まれているに違いないと考え、その一人の李軼と会談したがらなかった。
しかしながら、
軼数請。乃強見之。
軼、しばしば請う。すなわち強いてこれに見(あ)えり。
李軼は何度も何度も申し入れてきたので、無理に会ってみることにした。
そこで、李軼に、今度は李通と会うように説得された。・
しかしながら、
意不安、買半臿佩刀懐之。
意安んぜざれば、半臿(はんそう)の佩刀を買いてこれを懐(ふところ)にす。
「臿」(そう)は、キネを両手で持ってウスの上で上げ下げして穀物等を搗く姿を写した象形です。これに手へんをつけた「挿」(そう)の字の原字なのですが、「挿」は(キネ以外の)何かを手に取ってどこかに挿しこむ行為である「はさむ」「手挟む」の意味を持つようになり、「臿」の字にもその意味が反映されるようになりました。この「半臿」は、「半ば差し込む(程度の長さ)」という、普通より短いもの、を指します。
何が起こるか不安なので、短い刀を買って、これをふところに入れて、出かけた。
至通舎、通甚悦、握上手、得半臿刀。
通の舎に至るや、通甚だ悦び、上手を握り、半臿刀を得たり。
李通の家に行くと、李通はえらく大喜びして、劉秀の手を上から握りしめた。そうすると、ふところに入っていた短い刀が(李通の)手に当たった。
(ばれたか?)
と劉秀は一瞬身構えたが、李通は、さらに喜んで言った。
一何武也。
一に何ぞ武なるや。
「なんと戦いを忘れていないひとなのだ!
これなら、この乱世に頼りになりそうですな・・・」
劉秀は言った、
倉卒時以備、不虞耳。
倉卒の時に以て備うれば、虞れざるのみ。
「大慌てになることがあった時でも、備えてあれば安心していられるではありませんか。
(それだけのためです。自ら抜くことなど考えていない)」
「なるほど」
というわけで、二人は親友になったのでございます。
この劉秀がのちの光武帝であり、李通はその活動を支えていくことになるのでございます。
・・・・・・・・・・・・・・・
晋・司馬彪「続漢書」(「後漢書」巻十五注所引)より。見つかったときはやばかったですね。あんまり人と付き合おうとしないやつは、こんなもの持っているかも知れません。ひっひっひ。あまり話しかけないでほしいものです。ただし、校正とかの依頼はオーケー。黙ってやれるので。
コメントを残す