藍盛水走(藍に水を盛りて走る)(「寒山集」)
人をあざむく、というのは、今では詐欺まがいのことを言うのでしょうが、昔の人は現在の資本主義みたいな競争社会を見たら「人を欺いている!」と思うに違いありません。

ティコ=ブラーエじゃ。知ってる? 一度覚えるとなかなか忘れられない名前じゃよ。
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唐のころのことですが、
我見謾人漢、如藍盛水走。
我、人を謾(あざむ)くの漢を見るに、藍に水を盛りて走るが如し。
「藍」(らん)はもちろん植物の「あい」(青色の染料を採るタデ科の草)のことですが、ここではおそらく「襤」(らん)の意味で使われています。「ぼろきれ」。
わしは今日、ひとをだましてカネ儲けしているやつを見た。
そいつはぼろきれに水を容れて、走っているようなものだった。
一気将帰家、藍裡何曾有。
一気に家に帰らんとするも、藍裡(らんり)何ぞかつて有る。
大急ぎで家に帰ろうとしているのだが、
帰りつくと、ぼろきれの中にはもう何も無い(水は零れ落ちている)。
これはおまえさんたちの現世での生き方そのものではないか。人を出し抜いて「もうけた」と思って持ち帰ってきたつもりで、生死の関を通る時にもカネを持っていけるのか。
我見被人謾、一似園中韭。
我、人に謾(あざむ)かるるも、一に園の中の韭(ニラ)に似たり。
わしはよく人にあざむかれる(出し抜かれる)が、
それは畑のニラと同じようなものだ。
日日被刀傷、天生還自有。
日日に刀に傷つけらるるも、天生にしてまた自ら有り。
毎日毎日カマで傷つけられて摘み取られるが、
大自然の力でまた勝手に生えてくるのだぞ。
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「寒山集」より。「寒山集」の中でも有名な一篇です。いま現在、もうかった、出し抜いてやった、と言っているひとは、わしはもう知りませんぞ。もうかってないひとは、わしと一緒にまた生えましょう。景気よく。
大統領もお見えになったし、これから景気よくなりますよ。
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