気味如中酒(気味は中酒の如し)(「唐才子伝」)
自分のペースでやれるときはいいんですけど、勧められて「おおそうかそうか」と度を越すと、気持ち悪くなりますよね。

もう霜も降りています。
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唐の李廓は宰相・李程の子である。
少有志勲業。
少(わか)くして志は勲業に有り。
若いころから、手柄を挙げることを志していた。
「手柄」とは科挙に合格することです。しかしなかなか合格しませんでしたので、自ら「下第詩」を作った。
榜前潜制涙、衆裏独嫌身。気味如中酒、情懐似別人。
榜前にひそかに涙を制し、衆裏ひとり身を嫌う。気味は中酒の如く、情懐は別人に似たり。
結果発表の貼り出しの前で、人に知られぬように涙を抑さえ込んだ。
みんなの中でひとりだけ、自分のことが情けなくてしようがなかった。
気分はお酒に酔ったときのようにふらふらし、
感情は人に別れたときのようにやるせない。
というものです。
時流皆称賞。
時流みな称賞す。
当時のひとたちはこの詩を褒めそやした。
本人の気持ちは別として、流行歌にまでなったそうです。
元和年間、ようやく進士となり、
累歴顕宦、仕終武寧節度使。政有奇績。
顕宦を累歴して、仕えて武寧節度使に終わる。政に奇績有り。
「奇績」はキリスト教の奇跡・奇蹟ではありません。摩訶不思議なできごと、ではなくて、人よりすぐれた功績のことです。
きらびやかな官職をいくつも経た後、最後は武寧(徐州周辺)の節度使(政軍の最高責任者)になった。その政治にはすぐれた功績があった(といわれる)。
実は、「新唐書」巻一三一・李程伝附伝にいう、李廓は、
大中中、拝武寧節度使、不能治軍。鄭魯奏言、新麦未登、徐必乱。
大中中、武寧節度使を拝するも、軍を治むる能わず。鄭魯奏して言う、「新麦いまだ登らざるに、徐必ず乱れん」と。
大中年間(847~859)に、武寧節度使に任ぜられて任地に赴いたが、軍隊を収拾できなかった。ために、(当時、中央にあって諫官であった)鄭魯が上奏して言うに「麦の収穫が行われる(来春)より前に、徐州の武寧節度使管内で反乱が起こりましょう」と。
既而果逐廓。
既にして、果たして廓を逐う。
その後、確かに、李廓は追い出されてしまった。
それ以降は官職に就くことがなかった。「唐才子伝」にいう「政有奇績」は、
非実。
実に非ざるなり。
ウソですよ、ウソ。
とのこと。(近人・周本淳の「校正」注による。)
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元・辛文房「唐才子伝」巻六より。世の中、ウソが多いので困りますね。まあそこまでは実績があったのだと思うのですが、節度使は難しかったんです。みなさん、えらくなってからが大変ですね。
ついでに、調査報告じゃ。
寒いし、大学野球はみんな中止なので、今日は杉並区の「杉並3公園」に行ってきました。
〇太田黒公園 ・・・ 音楽(評論)家でドビュッシーなどを日本にはじめて紹介した太田黒さんの家を公園にしました。


〇荻外荘 ・・・ 昭和二年に入沢侍医頭の別荘として建築、十二年に近衛文麿に譲られ、近衛の政治活動の場となり、昭和二十年にはここで自決。その後、吉田茂総理の別荘となり、第二次吉田内閣の準備などが行われたという。


〇幻戯山房 ・・・ 角川書店店主・俳人・角川源義(げんよし)さんの家です。「幻戯」は「源義」を「げんぎ」を読んで山号にしたものだそうです。角川源義さんは折口門下で学問を捨てて資本家となられたのである。

善福寺公園まで行こうかと思いましたが、足が本調子ではないんで荻窪に戻って古本屋めぐりしましたんじゃ。
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