折一柳枝(一柳枝を折る)(「何氏語林」)
食べなくてもいいぐらいの量を食べてしまったように思える。それにしても、焼きそばの麺は柳の枝のようにやわらかではないか。

ヤナギの枝にいるとネコヤナギにゃん。
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宋の哲宗皇帝(在位1085~1100)が、
嘗因春日経筵講罷、移至小軒中賜茶。
かつて、春日の経筵の講罷め、小軒中に移り至りて茶を賜う。
ある日、春の儒教経典講義が終わって、宮中の小さなあずまやに移って、講師たちの茶を賜った。
この日は程伊川先生の書経の講義があった。
厳しい程伊川の授業が終わったので、よほど和やかな気持ちになられたのであろうか、まだ若い皇帝は、
自起折一柳枝。
自ら起(た)ちて一柳枝を折れり。
おん自らお立ち上がりになられて、お庭の柳の枝を一本、折り取られた。
なんと風流なかたであろうか。さすがです。
すると、教官の程伊川が威儀を正して申し上げた。
方春万物生栄、不可無故摧折。
春に方(いた)りて万物栄を生ず、故無くして摧折すべからざるなり。
「春になってまいりましてあらゆるものが華やいで来ております。そのような中で、理由もなく生物を折りくだいてしまうことは、あってはなりませぬ」
と。
哲宗色不平、因擲棄之。
哲宗色不平なれども、因りてこれを擲棄す。
哲宗皇帝は不服そうな顔をしたけれども、意見を聞いて折りとった柳の枝を捨ててしまった。
うん、確かにそうだ。春の季節に生物を折りとるようなことではいかん。さすが程伊川先生だ、皇帝にはっきり意見されるとは、なかなかできることではない。
以上のことを司馬温公が聞いて、どうも不機嫌そうな顔つきになった。弟子の一人が理由を訊いてみると、
遂使人主不欲親近儒生、正為此輩。
遂に人主をして儒生に親近するを欲せざらしむるは、まさにこの輩為らん。
「結局のところ君主に、儒学者と親しく交わって学ぼうという気を失わさせてしまうのは、伊川のような凝り固まった正義感で細かいことまで指摘せずにおれない偏執的なやつらのせいなのだ」
と。
そのとおり。わたしもそれを心配していました。
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明・何良俊「何氏語林」巻二八より。なんとなくよく似たやつが多くいて、確かに国が亡びる時にはこいつらいるなあ、と思いました。
さて、肝冷庵が思った、国を亡びる時に必ずいるやつはどいつでしょう。
①春の柳の枝のような民草の心を折り取ってしまう無自覚な権力者
②正義感を振りかざして細かいことまで追求する正義派
③なんにでも追随して「そうだそうだ」と言っている無定見な肝冷庵みたいなおっさんたち
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