満腹人材(満腹の人材なり)(「玉茗堂尺牘」)
がんばって書こう・・・と思ったんですが、眠いので短いのにします。

眠くても腹は減るとは生命の神秘である。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は朝早かったんです。しかもその後飛行機で南方に来たらむちゃくちゃ暑い。体力を奪われそうなので食ったら腹苦しい。おまけにネコの相手しててはなを噛まれて(こちらがネコを噛もうとしたからですが)流血。不運だなあ。

さて、明の萬暦のころですが、李元冲がうちに寄っていきました。その時に言うに、
門下満腹人材。無措手処。
門下満腹の人材なり。手を措くの処無し、と。
「鄒先生のところは腹いっぱいになるぐらい人材だらけで、手の施しようもない(なんにも教えなくていい)ぐらいだ」と。
わたしは言った、
治世人多于事、否則事多于人。
治世には人、事よりも多く、否なれば事、人よりも多し、と。
「平和な世の中だと人材は問題よりも多いだろう。だが、そうでない世の中では、人材は問題に追いつかない」と。
弟子に人材が多いのは、世の中が治まっているからか、やることが多すぎるから先生のところでどんどん育てているか、いずれかでしょう。
わたしには、
世際竟未知如何也。
世際ついに未だ如何なるやを知らず。
世の中が結局どちらであるか、まだわかっていないのです。
先生は如何思われますか。
・・・・・・・・・・・・・・
明・湯顕祖「玉茗堂尺牘」巻四より。相手は鄒南皐先生、東林党(正義派)の領袖の一人で、もうすぐ処罰されます。時代が悪かったのです。不運だなあ。
コメントを残す