唔伊稍稍(唔伊(ごい)、稍稍たり)(「梅墩詩鈔」)
中秋の名月ですので、月に関係する詩を読んでみましょう。

実は満月は明日なのでぴょん。
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江戸時代も半ば過ぎ、山中の友人のところに行ってちょっと酒も出て気持ちよくなったが、泊まりこむわけにもいかんので、夕暮れにおいとました。
出門残日已虞淵、半路酒醒心悄然。
門を出づるに残日すでに虞淵にして、半路酒醒めて心悄然たり。
その家の門を出たときは、夕日がもう沈みかけていたが、
半分ぐらい来たところで酔いも醒めてきて、しょんぼりしてきた。
「虞淵」(ぐえん)は「楚辞(遠遊篇)」に出て来る太陽の没する湖のことです。
平野草枯風廣漠、秋渓水痩月潺湲。
平野草枯れて風廣漠(こうばく)、秋渓水痩せて月潺湲(せんかん)。
日暮れの野原では、もう草は枯れ、風が果てしない遠くから吹いてくる。
秋の渓谷は水量が減って、月は(おだやかに映らず)さらさらと流れ崩れていく。
「廣漠」は「荘子」の「廣莫の野」(広くて何もない原野)を風が吹いてくることでしょう。「潺湲」は、浅い水が流れるオノマトペ。「さらさら」が一番近いでしょうか。月明かりのある夜だとわかります。
とっぷりと夜になってしまいました。
梟啼似鬼隠祠櫟、剣気如虹浮墓田。
梟は鬼に似て祠櫟(しれき)に隠れ、剣気は虹の如く墓田に浮かぶ。
フクロウはまるで幽霊のように、神社のくぬぎの林に隠れて(声だけときおり聞こえて)いる。
墓場の上には、虹のようにまぼろしの刀の気配が浮かんでいる。
ああ不気味だなあ。
だが、
独喜門生猶未寝、唔伊稍稍隔林伝。
独り喜ぶ、門生のなおいまだ寝(い)ねずして、唔伊(ごい)稍稍(しょうしょう)林を隔てて伝わるを。
「唔伊」(ごい)は読書の声。
うれしいことに、弟子どもがまだぶうすか寝たりせずに、
「おお、いい」と漢文を声を出して読んで勉強している声が、かすかに林の向こうから聞こえてきた。
もうすぐ家に着きます。
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本朝・広瀬旭窗「遊山家夜帰」(山家に遊んで夜帰る)(「梅墩詩鈔」所収)(清・兪樾編「東瀛詩選」巻二三より)。弟子たちが先生がいないので酔っぱらってたり、先生の悪口言ってたりしてなくてよかったです。このようにマジメに勉強していれば、知能指数は別として、ノーベル賞ももらえるカモ。
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