今則尸解(今はすなわち尸解(しかい)せり)(「括異志」)
「尸解」は死んだと見せかけて仙界に行ってしまう仙人の成り方です。葬った後に出現したりして、それを見た人が墓を暴いてみると、死体は無くて杖とか冠だけが残っていた・・・ということで証明されます。

説教されても引き下がりませんガー。別の生計の方法(隣の県の人民の方が美味い、とか)を教えてもらえば立ち去るかも知れなイガー。
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宋の時代のことですが、広州・新会の道士(道教の坊主)李芝(り・し)は、
居常若愚者。
居常、愚者のごとし。
普段はオロカ者にしか見えなかった。
そうです。もうこれだけで素晴らしい。しかし、彼は、
常読史伝、善吐納辟穀之術、膚体不屢濯、自然潔清。髪有緑光、立則委地。
常に史伝を読み、吐納(とのう)辟穀(へきこく)の術に善く、膚体しばしば濯せざれども、自然に潔清なり。髪に緑光有りて、立てばすなわち地に委ぬ。
いつも歴史の本を読んでおり、呼吸を吐いたり吸って止めたり、穀物を食わずに生活する方法などが得意であった。髪の毛はみどり(黒い)でぴかぴか光り、立つと地面にだいぶん残るぐらい長かった。
髪がぴかぴかして長い、というのは、現代的には、生命力が旺盛だった、というふうに考えてください。
所居房室不施関鍵、邑人崇向施与金銭衣服無算、人取去、未嘗有言。
居るところの房室、関鍵を施さず、邑人、崇(たっと)びて向(さき)に金銭衣服を施与すること算無きに、人取り去るもいまだ嘗て言有らず。
居住している部屋にはかんぬきも鍵も無い。町のひとびとは彼を尊崇して、以前から金銭や衣服を数えきれないくらいお布施していたが、また、誰か持って行く者もいた。道士は一度も持って行く人について文句を言ったことがない。
部屋に書籍や文房具や絵画などはあったのでしょうか。あるいは、
召設祠醮、一夜有数処見者。
召して祠醮(ししょう)を設くるに、一夜に数処に見わるる者有り。
あちこちから招かれて道教の法事に出席することがあるのだが、同じ晩に数か所で彼の姿が見られたりした。
テレポーテーションの能力があったというのだ。
仁宗皇帝の至和年間(1054~56)に、広州では、
多虎暴、芝持策入山。
虎暴多く、芝、策を持して入山す。
トラによる人的被害が多かった。人々が途方にくれていると、李芝道士は杖をついて山に入って行った。
そのまま出てきません。三日経っても四日経っても出てこない。みんな心配して・・・やがて諦めていました。なお、「策」は「杖」とも「竹の笞」とも解せられますが、ここは「杖」でしょう。
月余方出。
月余にしてまさに出づ。
一か月余りして、山から帰って来られた。
みなほっとして、喜び合ったのだが、不心得者(新自由主義者か?)がいて、「トラ退治はできたんですか?」と訊いたところ、道士はうなずいて、言った、
已戒之矣。
すでにこれを戒めたり。
「ようく注意してきたからな」
確かに、
自此虎暴亦息。
これより虎暴また息めり。
これ以降、トラの人的被害はおさまってしまった。
余至和中親見之。今則尸解矣。
余、至和中、これを親見せり。今、すなわち尸解せり。
わたしは、ちょうどその至和年間(1054~56)に、このひとと実際にお会いしたことがある。現在では、死んだことにして仙界に行ってしまったようである。(表向きは死んだと公表されている。)
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宋・張師正「括異志」巻第六より。いやあ、よかったね。こんな話を聴くと、わくわくして血圧や血糖値も下がり、ストレスも解消されて長生きできる(はずです)。ネコのごろごろやゲートボールと同じ効果があるというわけだ。それなのに、みなさんはマジメに聞かないので、健康上心配です。
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