10月5日 こんな話ばかりで生きていたいものだ

今則尸解(今はすなわち尸解(しかい)せり)(「括異志」)

「尸解」は死んだと見せかけて仙界に行ってしまう仙人の成り方です。葬った後に出現したりして、それを見た人が墓を暴いてみると、死体は無くて杖とか冠だけが残っていた・・・ということで証明されます。

説教されても引き下がりませんガー。別の生計の方法(隣の県の人民の方が美味い、とか)を教えてもらえば立ち去るかも知れなイガー。

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宋の時代のことですが、広州・新会の道士(道教の坊主)李芝(り・し)は、

居常若愚者。

そうです。もうこれだけで素晴らしい。しかし、彼は、

常読史伝、善吐納辟穀之術、膚体不屢濯、自然潔清。髪有緑光、立則委地。

髪がぴかぴかして長い、というのは、現代的には、生命力が旺盛だった、というふうに考えてください。

所居房室不施関鍵、邑人崇向施与金銭衣服無算、人取去、未嘗有言。

部屋に書籍や文房具や絵画などはあったのでしょうか。あるいは、

召設祠醮、一夜有数処見者。

テレポーテーションの能力があったというのだ。

仁宗皇帝の至和年間(1054~56)に、広州では、

多虎暴、芝持策入山。

そのまま出てきません。三日経っても四日経っても出てこない。みんな心配して・・・やがて諦めていました。なお、「策」は「杖」とも「竹の笞」とも解せられますが、ここは「杖」でしょう。

月余方出。

みなほっとして、喜び合ったのだが、不心得者(新自由主義者か?)がいて、「トラ退治はできたんですか?」と訊いたところ、道士はうなずいて、言った、

已戒之矣。

確かに、

自此虎暴亦息。

余至和中親見之。今則尸解矣。

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宋・張師正「括異志」巻第六より。いやあ、よかったね。こんな話を聴くと、わくわくして血圧や血糖値も下がり、ストレスも解消されて長生きできる(はずです)。ネコのごろごろやゲートボールと同じ効果があるというわけだ。それなのに、みなさんはマジメに聞かないので、健康上心配です。

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