10月4日 昨日はサボって楽ちんだった

鬱林烏滸(鬱林の烏滸)(「後漢書」)

昨日は早く寝てしまいました。「これは楽ちんだ」と思ってもっとサボりたいのですが、今日も更新しているのは、「後漢書」を読んでいたら、みなさんに教えてあげたい耳よりの話があったからなんです。

カラスはかなり賢いのだが。少なくともおまえさんたちよりは。

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建寧三年(170)冬、

鬱林烏滸民、相率内属。

のだそうです。この「烏滸民」は、あまりにもバカである、ということで、我が国の知識人の間では、「烏滸(おこ)」と書いて「ばかげている」という意味の漢語になりました。(チャイナではそんな意味無いので、チャイナの科挙試験を受ける人は注意してください)

頼山陽の上杉謙信を歌った詩に、「烏滸なり十年一剣を磨きし」という名句がありますね。
―――なんとバカげたことであったか、十年も一振りの剣を使う技を磨いてきたことは。(そんなことよりもっと戦略や戦術を勉強すべきであったのだ!)
と言っております。では「烏滸」の民が伝どんなにバカであったかというと、唐・李賢らの「後漢書注」に引く晋・裴淵の「廣州記」によれば、

其俗食人。以鼻飲水、口中進噉如故。

というバカなのです。わははは。なお、光和元年(178)には彼らより南の海岸沿いにいたと思われる「合浦・交趾の烏滸民」がベトナム方面の九真・日南の蛮族とともに反乱を起こして後漢の出先を攻め滅ぼしているようです。

この人も烏滸っぽいですね。
あんまりためにならなかった? うーん、では、これはどうでしょうか。

熹平六年(177)春二月、

南宮平城門及武庫東垣屋自壊。

家が理由も無く壊れるとは、数日前に杉並区でも起こった事件ですが、前漢時代の大学で教えられていた京房の「易伝」によれば、

小人在位、厥妖城門自壊。

とのこと。なるほど、これは勉強になった。くだらんやつが高い地位にいたわけだ。だが、あくまで数日前のことです。今日のことではありません。
これは如何でしょうか。

この年の秋七月、

青虹見御坐玉堂後殿庭中。

なんと、光学的には絶対見えないという虹の根っこが発見されたのです。しかも観測記録があって、「東観記」にいう、

堕所御温明殿庭中、如車蓋隆起、奮迅、五色、有頭、体長十余丈、形皃似龍。

「青虹」ですが「五色」だということ、「龍に似る」というんですから記録者は龍を見たことがあるんだということがわかります。ためになりましたね。

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「後漢書」巻八(李賢等注)より。ためになって喜んでもらえると思って今日は更新しているのですが、みなさんは思わないのですか。感謝もない? 
「こんなことで人が喜ぶと思っている肝冷庵は老害なだけでなく「烏滸」じゃないか」
じゃと! むむむ・・・
ようし、では問題じゃ。わしとおまえさんらとどちらが「烏滸」か確かめてみましょう。

「鳥」部だったら何画になるんですか? うっしっし。肝冷庵は知ってるんですよ。

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