白日将匿(白日、まさに匿れんとす)(「文選」)
ちょっと居眠りしているうちに日が暮れてきます。来月になったら居眠りしているうちに夜中でしょう。

居眠りするひまあったら早く寝ろでメー。むにゃむにゃ。
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後漢の終りごろ、三国志の始まりあたりですが、荊州の高い建物に登って、遠くを見ておりました。ああいつの日か戦乱が終わり、都に帰って天子さまに用いられたいものだなあ。・・・というように、いろいろ嘆いていたので、
歩棲遅以徙倚兮、白日忽其将匿。風蕭瑟而並興兮、天惨惨而無色。
歩は棲遅として以て徙倚し、白日忽ちそれまさに匿れんとす。
風は蕭瑟として並びに興り、天惨惨(さんさん)として色無かりき。
あゆみがゆっくりとして寄りかかりながら移動していた。その間に、太陽はもう隠れてしまおうとしている。
風がさびしげに何回も吹き起こり、空はさむざむとして色が無くなって(黒になって)きた。
獣狂顧以求群兮、鳥相鳴而挙翼。原野闃其無人兮、征夫行而未息。
獣は狂顧して以て群を求め、鳥は相鳴きて翼を挙ぐ。
原野闃(げき)としてそれ人無く、征夫行きていまだ息(や)まず。
けものたちは狂ったように四方を眺めて自分たちの仲間を探し、鳥は鳴きかわしあって翼をあげて互いを確認している。
(だが、わしは人間である。)みはるかす荒野は、しーんとして人がいない。旅人であるわたしは、まだ行きつくべきところに行って休息できていない。
この四句はいいですね。世紀末的な荒野を描いてなかなか読ませる。木枯し紋次郎のオープニングで、夕陽の中を紋次郎が歩いていたような感じです。木枯し紋次郎が放送されてたころは、昭和40年代、貧農史観華やかなりし時代で、江戸時代は「世紀末」のような荒涼とした時代だと思っていました。だが本当に荒涼としているのは現代ではなかったのか・・・。
閑話休題。
心凄愴以感発兮、意忉怛而慘惻。循堦除而下降兮、気交憤於胸臆。
心凄愴として以て感発し、意忉怛(とうたん)として慘惻(さんそく)す。
堦除に循いて下降すれば、気は胸臆に交憤せり。
心はすさまじく感情が起こり、思いは悲しく憂い悲しむ。
土の階段を降りてくると、気分は胸の間でぐるぐると憤る。
同じような意味の文字ばかり続けるので、なんだか難しい気分になっていますが、そんなふうにして宿に帰ってきた。
夜参半而不寐兮、悵盤桓以反側。
夜、参半にて寐ねられず、悵として盤桓し以て反側す。
わたしは夜も半ばになっても寝られない。悲しみがわだかまって、ごろごろと寝返りを打っているのだ。
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魏・王粲「登楼賦」(「文選」巻十一所収)より。この時はまだ後漢です。
如何ですか、「文選」の美文は。普段、肝冷庵が紹介している漢文は、実はたいへん健康ですっきりしているということがわかっていただけましたでしょうか。しかし、前二世紀の前漢の司馬相如のころから、九世紀に韓愈が「これはおかしいぞ」というまで、こんな文章が流行していたのです。一時期流行ってすたれるものは多いが、1000年ぐらい流行っていたのですから、チャイナ社会の何かと共鳴するものがあったのでしょう。
「登楼の賦」の最後の四分の一ぐらいを採ってきたのですが、この「賦」は短い方です。長ければ長いほどいい、という風潮もあって、長ったらしい。そして、対句対句でイヤになってきますよね。一文字で済むことを二文字にするし、「兮」「而」という間投詞みたいなのを入れてムダに字数を増やしているし、難しい字を使って作者は「おわかりになりますかな?」と天狗のように鼻高々になっている・・・
こんなのダメだ! 現代の効率主義には適合しない!
と思ったひとは、「文(かざり)章(かざり)」の道、失格!
実は十二世紀、南宋の時代においても
文選爛、秀才半。
文選爛すれば秀才半ばなり。
文選に習熟すれば、(試験に受かって出世する)秀才になる道の半分まで来たようなものだ。
と言われた「文選」がイヤなら、科挙試験に受かりません。明や清でも同じです。人生最大の目標がかなえられないとは、なんと残念なことではないかね。
・・・みたいな社会に生まれなかったことを感謝しなければなりませんね。よかったー。
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