10月1日 今日生きていると国勢に入る

直如弦、曲如鈎(直なること弦の如く、曲なること鈎の如し)(「続漢志」)

どちらにもならなくても国勢にはなるから大丈夫です。

「塗料などで色付けると鳳凰みたいになるでコケ」「露店で売るな、でピヨ」

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後漢・建和元年(174)の冬十一月、河南・済陰郡から報告があった。

有五色大鳥見于己氏。

「己氏」(こし)は済陰に属する県の名前です。

というのである。五色のでかい鳥、といえば鳳凰であろう。

「めでたいですなあ」

と幼い恒帝とその周辺にお祝いを言うものが絶えなかった。

だが、「続漢志」には言う、

時以為鳳凰。政既衰缺、梁冀専権。皆羽孽也。

「みな」と言っているので何羽か群れて出たのでしょう。なお、鳳凰は20世紀のはじめごろ、わが国の生物学者、侯爵・蜂須賀正氏が熱帯で発見して世界の学界に報告しています。五色の大きな鳥で、「ホーオー」と鳴いたという。

この月、正論派であった前大尉の李固と杜喬がともに獄に下され、殺された。

「続漢志」に言う、先帝の御代の終りごろ(前年のことです)、

京都童謡曰、直如弦、死道辺。曲如鈎、反封侯。

「弦」「辺」と「鈎」「侯」が韻を踏んでいて、単純ですがマザーグースみたいに謎めいた歌である。

なお、「童謡」は単なる「わらべの歌」と考えてはいけません。頭を剃られた奴隷身分である「童」、情報や思想を持たないはずの愚かな彼らが、誰からともなく歌う「うた」が「童謡」で、だからこそ「神の告げごと」と考えられたのです。本来、「天声を語る人」はでかいメディアのかっこいいスーツを着たひとではなく、おれたち判断力も何もない奴隷階級の愚か者たちなんですだよ。うへへ。

この歌の意は、

曲如鈎謂梁冀、胡廣等。直如弦謂李固等。

後漢の命脈を絶ったといわれる「党錮の禁」のはじまりであります。

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「後漢書」本紀第七より。注として引かれている「続漢志」は晋の司馬彪の撰、「後漢書」より先に整理されたもので、後漢の歴史を分野別に整理して記述しています。実は、「後漢書」は他の歴代の正史には存在する「志」(分野別歴史)が無いので、宋代以降、この「続漢志」を「後漢書」の後ろに引っ付けて「後漢書・志」として刊行されていますので、「後漢書の一部」と言ってもいい本です。

時代の変化に合わせて、憲法かえずに現実的な判断をした人が「直」だったか「曲」だったか。やがて人が語ることでしょうですだよ。うへへ。

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