9月30日 これからいい季節になるでしょう

善刀而蔵(刀を善’(ぬぐ)いて蔵(おさ)む)(「荘子」)

よく切れるものは、「ひひひ・・・」と言いながら振り回したりしてはいけません。

刀を抜いてはいかん。おにぎりでも食って、ガマン、ガマンじゃ。

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かいつまんで話しますと、戦国・梁(魏)の恵王の料理人・庖丁(ほうてい)が、王の前でウシを解体しました。その見事な技術を見ていた王は、

善哉、技蓋至此乎。

と称讃しました。すると、庖丁は、

臣之所好者道也、進乎技矣。

と答えた。

そして、「道」の状態まで進んだ状況を伝えて言うに、

・・・わたしがウシの肉と骨を切り分けるため刃を使いますと、

恢恢乎其於游刃必有余地矣。是以十九年而刀刃若新発於硎。

「恢恢」(かいかい)は「老子」の「天網恢恢、疎にして漏らさず」(天の網はスカスカで、目が大きいのだが逃れることはできませぬ)の「恢恢」です。

・・・そのようなわたしでも、

毎至於族、吾見其難為、怵然大戒、視為止、行為遅、動刀甚微。

むむむ・・・。ばさり!

謋然已解、如土委地、提刀而立、為之四顧、為之躊躇。

やがて、

満志、善刀而蔵之。

この「善」は「繕」の意。刀なので我が国では一般に「ぬぐう」と訓じています。

「ああ」

王はためいきをついて、言った、

善哉。吾聞庖丁之言、得養生焉。

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「荘子」養生主篇より。「道」を体得した時の「游刃余地有り」の境地を明確にするなど、東洋思想史上にあまりにも有名な一節ですが、今日はそちらより、

の方をご覧くだされ。

一仕事終えられた方は、どうぞそのよく切れる刀をきれいに拭って、収めておいてください。また使う時もあるかも知れないし、別の誰かが使うかも知れないので。

それにしても「荘子」はオノマトペの使い方が巧いなあ。

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