賜物充庭(賜物、庭に充つ)(「明語林」)
蚊はムヒがあるから大丈夫ですが、ダニやハエの集団はどうするのですか、という問題を提起しています。朝廷に近い首都にはこれらが多いのです。ただ、首都にいて、権力の近くにいると。たいへんいいこともあるようです。

おいらも混ぜてもらいたいもんだソリ。
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明の数少ない名君の一人、宣徳帝(在位1425~35)が、夜、突然宰相の楊士奇の家にやってきた。
夜已二鼓、士奇驚起、朝服逆之。
夜すでに二鼓、士奇驚き起きて、朝服してこれを逆(むか)う。
もう夜中の、二番目の太鼓が鳴った後(午後十一時ぐらい)、楊子奇はすでに寝に就いていたのだが、驚き飛び起きて、朝廷に行くときの正装を身に着けて、宣徳帝をお出迎えした。
しかし、
鑾仗繞屋、不知上所在。
鑾仗屋を繞り、上の所在を知らず。
「鑾」(らん)は天子の車馬につける「鈴」、「仗」(じょう)は天子などの護衛の兵士。
馬車や護衛兵は既に家の周りをぐるぐる回っており、皇帝は既に屋敷内に入っていることはわかっているのだが、どこにいるかわからない。
(ど、どこにおられるのだ? ・・・あ、そうだ、ピコーン💡)
と思いつき、
惟降階北面拝。
ただ階を降りて北面して拝すのみ。
とにかくまず階段から庭に降りて、北側に向かってお辞儀をした。
とりあえず家の中の何処におられても失礼の無いように振る舞ったのである。
「あははは」
上方倚欄看月、笑而呼曰、朕在此。
上まさに欄に倚りて月を看、笑いて呼びて曰く、「朕、ここに在り」と。
帝は、ちょうど(階段の上の回廊の端っこで)欄干に寄りかかって月を見ていたところであった。笑ながら、「わたしはここだよ」と呼び掛けてくださった。
「ははー(あぶない、さっきまで同じ平面にいたのだ、そこをうるさい御史たちにでも見つかっていたら・・・)」
と深々と拝礼したときには、もう
賜物充庭際。
賜物、庭際に充てり。
帝からのプレゼントが、庭の端っこまでいっぱいに並べられていた。
ありがたいなあ。
ところで、この時、楊士奇は妻をすでに亡くしており、
止一婢侍巾櫛。
ただ一婢の巾櫛に侍するのみ。
冠を着けるためのカンザシをつけたりする(身の回りの)世話は、女中が一人だけでやっていた。
一日、中宮行慶賀、命婦悉往。太后以公無命婦、召婢至。
一日、中宮に慶賀を行うに、命婦悉く往く。太后、公に命婦無きを以て、婢を召して至らしむ。
ある日、宮中でお祝い事があったので、官僚たちの位を持っている正妻はみんなおよばれした。宮中を仕切る太后さまは、楊士奇の正妻が亡くなっているのを知っていたので、そのたった一人の女中をおよび出しになられた。
女中がやってきたので、よく見てみると、
貌既寝、衣復倹陋。
貌すでに寝、衣また倹陋なり。
かおかたちはぼんやりしており、着ている物もけちくさくてかっこ悪い。
「これはいけないね」
命妃嬪為梳整、易以首飾衣服而遣之。
妃嬪に命じて梳整を為さしめ、首飾・衣服を易えてこれを遣る。
侍女たちに命じて(女中の)髪をとかし、化粧をさせ、首飾りや着ているものを着替えさせて、返した。
且笑云、若曰、楊先生応不復相識矣。
かつ笑いて云う、「若(なんじ)曰え、楊先生まさにまた相識らざるべし、と」
その時、笑いながら女中におっしゃった、
「あなた、お戻りになったらおっしゃりなさいな、『あら、楊先生(だんなさま、じゃなくてね)、わたしをご存じでいらっしゃいますか』と」
おほほほ。うふふふ。いひひひ。
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清・呉粛公「明語林」巻十一「寵礼篇」より。「えらい人に(礼の範囲内で)愛されたエピソード集」というような篇のようです。君臣の間が仲が良いという「佳話」(いいはなし)として編者たちは扱っていると思うのですが、後者は、
「余計なことすんな、くそ太后! この女その気になったらどうするんだ!」
「それが太后に向かって言うコトバかね! きー!」
と仲間割れしてしまうかも知れません。しかし、このように国家はいろいろ下さるのです。高校まで無料化にしてくださっているのに、教育面での支出が少ないと国家を批判するとは、どういうことじゃ!・・・と質問してみようかと思いましたが、やはりなにかがおかしいんですよね。どこかにダニやハエがいるんだと思います。いないかな。蚊ぐらいかも。
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