土風有宜(土風に宜(よろ)しき有り)(「玉茗堂尺牘」)
―――お彼岸を過ぎましたが、まだ気温は30度弱、蚊がたくさん活動しているみたいです。だが、蚊はいいやつらしいんです。以下をご覧くださ・・・
「何を言っているんだ、キミは」
「常識でものを考えてください、子どもとかびっくりしたらどうするのかしら」
「いいやつ、わるいやつ、という感覚が如何にも前近代的というか・・・」
―――いや、わたしが言っているんではないんです、明の文人が言っているんです、しかも科挙試験にも受かっているお役人です。
「どうせ古臭いおっさんでしょ?」
「きみはどうしても権威主義に傾くからな」
―――いやいや、現代でも高く評価されている人ですぞ。
「なに! 現代でもエラい人が言っているのか。早く言ってくれたまえ」
―――すみません。
「わはは」「おほほ」「いひひ」

とりあえず謝っておけ、の精神だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あー、もうホントめんどくさい人が多いなあ。
さて、今日ご紹介するのは、明代萬暦の大文人・臨川居士・湯顕祖さまです。当時から普通に文章の巧い人では通っていたのですが、なによりも「臨川四夢」といわれる四本の夢を題材にした戯曲の作者として、多くの児女(女子ども)の涙を誘い、近代につながる演劇を開創した「粋な人」として有名だ。シェイクスピアより四つ年上で、同じ年に死んでいる。東洋演劇史でシェイクスピア的な役割を果たしたひと、と思っていただけるといいのでは。(ちょっと無理あるかな)
(「臨川四夢」=「牡丹亭」「紫釵記」「南柯記」「邯鄲記」)
湯顕祖さんは、試験に受かった後、しばらく北京で中央官僚をしていたのですが、強く希望して郷里に近い南京に異動させてもらった。その後も、彼の文名を考慮して、いろんな人に北京で仕事をするように勧められるのですが、断り続けます。その中でも、地元の知事もやった司汝霖という人の勧めを断ったときの文章が気が利いている、とされています。以下読んでみます・・・が、今日のお話に関係無さそうなところはバキバキに省略します。
・・・わたしが南京勤めになりましたのは、魚が水を得たようなもの、元気の根拠にいるようなものです。そして、
断不可北者有五。
断じて北すべからざるもの、五有り。
絶対に北京にいけない理由が五つあります。
一つ目は南京が実家に近いので、老いた両親といつでも会えること。二つ目はヨメさんが死んでしまい、子どもが八歳と六歳で、その面倒を見てやらないといけないこと(単身赴任はできない、と言っているようです)。三つ目は北京では給料だけで暮らさないといけないが、南京では官舎も広く、いろんな知り合いがお酒やコメを持って来てくれるから、生活がしやすいこと。四つ目は、自分は体が弱く、ずっと薬を煎じて飲んでいるが、北京ではその原料が手に入らないので、あっという間に病気になるであろうこと。
加えて、
南北地性、暑雨寒風、清汚既別、飛虫之属各有所多。
南北の地性、暑雨と寒風、清汚既に別し、飛虫の属もおのおの多とするところ有り。
南と北では土地の性質が違い、暑い雨、寒い風、清潔と汚濁とも違いますので、飛んでいる虫の種類もそれぞれに多いものが違ってきます。
南暑可就陰息、雨適断客為趣耳。吏于北者、雖有盲風滅人之面、糞人之歯、猶将扶馬揚呼而造也。
南暑は陰息に就くべく、雨の適くも客を断じて趣を為すのみ。北に吏たる者、盲風の人の面を滅し、人の歯を糞すといえども、なおまさに扶馬揚呼して造(いた)らんとす。
南の暑さは、影を見つけて休めばなんとかなりますし、雨が降ってきても、その間は人と往来するのを避けることになって、それはそれで雰囲気がある、と言えます。ところが北で役人になると、目を開けていられないような風の中で、顔面はぎたぎたになり、歯までぼろぼろになっても、それでもウマを助け声を上げて出勤しなければならない。
乃至寒時、冰厚六尺、雪高三丈、明星以朝、鼓絶而進、折風洞門、噫鳴却立。
乃ち寒時に至れば、冰の厚さ六尺、雪の高さ三丈、明星に以て朝し、鼓絶して進むに、洞門に折風して、噫鳴して却立す。
さらに寒い季節になると、氷の厚さは2メートル、積雪の高さは5メートルになり、そんな中、暁の星がまだある時間に、合図の太鼓が鳴り終われば、朝廷の会議のために家を出なければならない。だが、町内の出口まで来れば強い風で体を折られ、「ああ」と叫んで立ちすくんでしまう。
会議なんてどうせ大したこと決まらないのに、いないと叱られたんです。むかしのチャイナや今の現代は知りませんが、われわれの世代は。岡本全勝さんに訊いてみようかな。
沈陰凌競、瘁灑中骨。餐煤食炕、爍経銷液。
沈陰凌競して、瘁(つか)れは中骨に灑ぐ。煤を餐し炕を食らい、爍経銷液す。
難しい言葉を使いますね。
(北京での生活は)日照時間が短いので暗いところで沈み込み、人と凌ぎを削って競いあい、疲労は骨にどばーっと注がれる。石炭の煙を晩飯にし、かまどの火を食う生活、神経は焼かれ、リンパ液は溶かされていく。
以上は寒さの問題ですが、
弱不受穢、行見通都道頭不清、毎為眩頓。春深溝発尤甚、遂有游光赤疫、流行瘇首、不避頑俊。
弱、穢を受けざるに、行きて通都の道頭の清ならざるを見るに、つねに眩頓を為す。春深くして溝の発するは尤も甚だしく、遂に游光赤疫有りて、瘇首を流行し、頑俊を避けず。
わたしは体が弱くて不潔なのはダメなんです。北京に行って、大路の道ばたの不潔なのを見ると、それだけでめまいを起こし気絶してしまう。春の終りごろに溝から出て来る不潔なガスがもっともひどく、これによって空気中を飛び回る病気が起こり、頑健な者や優秀な者を避けることなく、首の腫れ物が流行する。
そして、この「不潔都市」は、
是生青蠅、常白日万口、横飛集前、意不可忍。
これ青蠅を生じ、常に白日に万口ありて、横に飛び前に集まり、意として忍べからざるなり。
青光りするハエを生み出すのだ。真昼間から何万匹と飛び交って、横ざまに飛び前に集まり、ガマンができません。
これに対して、
旧都清麗娯人。独夜苦蚊音、妨人眠臥、至于垂玄幕、燧青烟、未嘗不杳然而去也。
旧都は清麗にして人を娯しましむ。独り、夜、蚊音に苦しみ、人の眠臥を妨ぐれども、玄幕を垂れ、青烟を燧するに至れば、いまだ嘗て杳然(ようぜん)として去らずんばあらざるなり。
わが「昔の首都」南京(明は永楽帝が北京に遷都するまで、南京を首都にしていた)は、清潔でうららかで、住民を楽しくしてくれます。ただ、夜中の蚊の音には苦しみ、睡眠が妨げられますが、これも暗い幕(蚊帳)を吊り、青くさいけむり(蚊取り草)を燃やせば、どこかに行ってしまわないということはありません(必ず蚊の音も消えます)。
このように、
土風有宜、五也。
土風に宜(よろ)しき有る、五なり。
土地の風土がわたしに向いている、というのが五つ目の理由です。
というわけで、ハエはダメですが、蚊はいいではありませんか。「かはいい」ってね。わははは。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
明・湯顕祖「玉茗堂尺牘」巻一「与司吏部」(司吏部に与う)より。今日はネコのしりたたきに行ったらたくさん蚊がいました。蚊はまあいいか、と思うのですが、ダニが問題ですね。社会にとっても?
コメントを残す