9月16日 苦境を脱したが現実はなお逃避中

以柔道行(柔道を以て行わん)(「後漢書」)

苦境脱出のために行った昨日のムリがたたり、午前中はふにゃふにゃになって会社で爆睡。午後は起きてたけど何事にも反応せずとろんとしてました。もう精神力ではどうにもならないんです。

強い精神力でシャキッとしていただきたいものでぶな。

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後漢の初代・光武帝の建武十七年(41)冬十月、光武帝は郷里の南陽に行幸し、父や祖父の墓(章陵)にお参りした。

修園廟、祠旧宅、観田廬、置酒作楽、賞賜。

時宗室諸母因酣悦、相与語曰。

文叔少時謹信、与人不款曲、唯直柔耳。今乃能如此。

光武帝はこれを聞いて大笑いなされ、

吾理天下、亦欲以柔道行之。

とおっしゃり、おばちゃんたちの大人気であった。

乃悉為舂陵宗室起祀堂。

一族はさらに仲良くなったのである。時に、

有五鳳凰見於穎川之村県。

いやー、めでたいなあ。

「東観漢記」によれば、この時出現したのは、

鳳凰八尺、五彩、群鳥並従、行列蓋地数頃、停一十七日。

とのこと。詳細な記録が遺されていました。

十二月、至自章陵。

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「後漢書」巻一下「光武帝紀第一」より。「清通鑑」読み終わったんで「後漢書」を読み始めました。あとどれぐらい本読めるんでしょうね。「もっと役に立つものを読みたまえよ」とご忠告ありがとうございます。だがもう年寄にはこれまでの生き方を変えることはなかなかできませんのじゃよ。「役に立つ本も役に立たないのも読まなくていいから毎日めしだけくっとれ。片付けもしなくていい」という忠告なら聴くかも知れません。

なお、「東観漢記」は、今では散佚してこのような断簡しか伝わっていませんが、後漢時代に宮中の東観で編纂されていた同時代史料です。非常に史料的価値は高いといわれるのですが(確かに鳳凰の生態なんて他の本には書いてありません(苦笑))、そんな本でも「後漢書」という便利な本が後から出来ると散佚してしまうのですから、むかしの東洋の人が「記録」を大切にしていた、なんていうことはありません。もちろん、都合のいい記録は大切にしていると思います。みなさん同様?。

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