天地銷骨(天地骨を銷す)(「輿地紀勝」)
何で誘われるままに飲み会行ってしまって所用を果たそうとしなかったのか。わが事ながらほんとにびっくりしました。もうどうでもいいやと本能的に覚ったのであろうか。ストレスで骨が溶解してしまうかも。

現実から逃避するしかないのでメー。現実なんて、無いのでメー!!!
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・・・唐の時代、江蘇・当塗に李陽冰が県令として赴任してきました。すると、その一族と称する李白がやってきて、この地で亡くなりました。(水面に映った月を取ろうとして溺死したという有名な伝説がありますが、おそらく偽りでしょう。)
李白の墓は李県令によってはじめ県庁に近い竜山の東、来陽という場所に造られたそうです。一方、長江沿岸の采石にも李白の墓と伝えられる場所があり、一般にはここが有名ですが、これは李白の葬儀を行った場で、その後遺骸を竜山に移して墓としたのです。
その後、元和十二年、竜山の墓も修復が必要になり、そのころまでに李白は大詩人として再評価されていたので、李白の墓は行政上の課題となった。時の観察使・范伝正は当塗令の諸葛縦にその問題を委任。諸葛縦は青山の麓に改葬した。もとの墓から六里ほど郊外にある。
というわけで、李白の墓といわれるものは、当塗県付近に三か所あります。白楽天の有名な「李白墓」の詩に、
采石江辺李白墳、繞田無限草連雲。
采石江辺李白の墳、田を繞りて無限、草雲に連なる。
采石江のほとりに李白の墓がある。(その付近の)田を一周して限りない思いに耽ってみた。草が雲につながってお(り、手入れされていないことがわか)る。
とあるのは、采石の墓のことで、本体が移されてしまっているのだから、その地は、あまり丁寧には祀られてはいなかったのだろう。
この詩はさらに、
可憐荒隴窮泉骨、曾有驚天動地文。但是詩人多薄命、就中淪落不過君。
憐れむべし、荒隴窮泉の骨、かつて驚天動地の文有り。
ただこれ詩人多く薄命なれど、就中に淪落すること君に過ぎず。
感動するのは、この荒れ果てた土地の困窮した地下に眠っている骨が、
かつて天を驚かせ地を震わせるようなすごい文章を書いていたことだ。
詩人というのは多く不幸に終わるものであるけれど、
中でもあなたほど落ちぶれてしまった人もいないであろう。
と続いて人口に膾炙している。「驚天動地」や「詩人薄命」の典拠なので、試験を受ける人は覚えておきましょう。しかし、ここには「骨」はないのである。
また、唐の杜荀鶴の詩に曰う、
何謂先生死。先生道日新。青山明月夜、千古一詩人、天地空銷骨、声名不傍身。誰移来陽冢、来此作吟隣。
何ぞ謂う先生死せり、と。先生の道は日に新たなり。
青山の明月の夜、千古の一詩人、
天地空しく骨を銷(とか)すも、声名身に傍(そ)わず。
誰か来陽の冢を移し、この作吟の隣に来たらしむるや。
なぜ(李白)先生は死んだ、などというのか。先生の精神は、毎日毎日新たに生まれているではないか。
青山の明るい月の夜に、千年の歴史に遺る大詩人よ、天と地があなたの骨をもう溶かしてしまったとしてもムダなことだ、その名声は肉体とは別のところにあるのだから。
(もう骨なんか無くなっているのだが、)どなたが来陽にあった墓を移して、この歌作りの側に持ってきたのであろうか。
この詩は、「青山」の麓に遷された墓のことを謳っているんです。
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宋・王象之「輿地紀勝」巻十八「太平州・当塗」より。骨が解けても名声は別のところにあるわけか。この本はあちこちの伝説や来歴を紹介していて、参考になります。つまみぐいして読んでいると時々おもしろい(ほとんどはおもしろくないですが)。今回も勉強になった。しかし勉強しても何になるんだ、というようなことでした。まだしもこの知識の方が役に・・・うーん、あんまり立たないかも。
それよりやらなければいけないこと、どうするんでしょうか。どんどん追い込まれてきたが、徹夜したりする若いころみたいなムリはもう利かないんです。・・・どうでもいいやの精神しかないのか。この年になっているので、もう失った信頼は取り戻せないだろうに・・・。
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