干君何事(君の何事にか干(かか)わる)(「樊川詩集」)
↑は、「おまえさんにとってどういう意味があるのか。なにもないのではないのか。ほっといてくれ」というような意味です。

おれたち忍者ならミズグモの術で近づける、ということをうたっているのではないか。
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唐の時代のことですが、
秋声無不攪離心、夢沢蒹葭楚雨深。
秋声は離心を攪(みだ)さざる無く、夢沢(ぼうたく)の蒹葭(けんか)に楚雨深し。
「夢沢」は古代の楚の地方(湖北・湖南)に広がっていた大湿地帯「雲夢沢」(うんぼうたく)のことです。「蒹葭」は水辺に生えるイネ科植物の「蒹(あし)」と「葭(よし)」。この詩では直接関係なさそうですが、下記注1参照。
秋の物音には、人と別れて異郷にある者(おれのことだ)の心をかき混ぜないものがない。(風の音も鳥の声もなにもかも、心を乱す。)
ここ、いにしえの楚の地の水辺のあしやよしは、冷たい雨のそぼふる中にある。
「楚雨深し」というのは巧い言い方ですね。散文的にいえば「それ(水辺の蒹葭)はかなり向こうの遠景で、それとの間に雨がたくさん重なっている」というようなことなのでしょう。「楚雨」がなぜ「冷たい雨」になるのかは、下記注2参照。
自滴堦前大梧葉、干君何事動哀吟。
自ずから堦前の大梧葉に滴り、君の何事に干(かん)して哀吟を動かすや。
中庭に降りる階段の前の大きな梧桐の木の葉に、勝手に滴り落ちて(その雨音が一段とおれの心を乱すのだが)、
一体、おまえさんのどういうことに関わって(そんな心をかき乱す音を立てて)、おれに悲しい歌を歌わせようとするのだ?
「おまえさんにはなんにも悪いことしてないやろ!」
と雨に向かって言っているんです。へんなひとですね。
今日も東京では少し降っただけで、少しも涼しくなりません。そろそろ水不足だともいう。
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唐・杜牧「樊川詩集」より「斉安郡中偶題」(斉安郡中にたまたま題す)。「斉安郡」は湖北・黄州の古い名前だそうです。作者はこのとき、黄州知事の職にありました。「偶題」は「ふと思いついて書いてみた」というような意味です。なかなか秋にならないですね。人の心は秋だというのに。
このひとはこの暑いのにほんとによく働いていますね。
注1 「蒹葭」は、「詩経」秦風に出て来る詩です。
蒹葭蒼蒼、白露為霜。所謂伊人、在水一方。
蒹葭蒼蒼として、白露も霜と為る。いわゆる伊(か)の人は、水の一方に在り。
あしやよしは青黒く繁り、(秋から冬に移って)露も霜にかわった。例のあのひとは、(変わりなく)湖の向こうにいる。
という詩で、ここまでだと「蒹葭」は変わらぬ姿で向こう岸にいる友人(恋人?関係者?)を指す比喩だと思われます。そのため、「蒹葭」で変わらぬ友情を示したり、浪速の富豪・蔵書家の木村「蒹葭堂」のように「相も変わらず水のほとりに住んでいる」という意味で雅号にしたりします。
ところが、この詩には謎めいた続きがあって、
遡洄従之、道阻且長、遡游従之、宛在水中央。
遡洄してこれに従わんとするも、道阻みかつ長し、遡游してこれに従わんとするも、宛(えん)として水の中央に在り。
水流にさからってあの人のところに行こうとしても、その途中には邪魔が多く、そして遠い。水流にしたがってあの人のところに行こうとしても、(あのひとは)そのままで水の真ん中にいる(ので近づけない)。
なんだかよくわかりません。肝冷斎が以前より唱えていますように、「詩経」の詩はすべて祭礼の際の歌謡であると考えると、この詩は水神信仰の祭りの際の唱え歌だと推測され、なんとか理解できそうですが、定説にはほど遠いんです。朱晦庵先生は
上下求之而皆不可得。然不知其何所指也。
上下してこれを求めむれどもみな得べからず。然るに、その何の指すところなるやを知らざるなり。
川を上ったり下ったりしてその人のもとへ行こうとするがどうしても行きつけない、ということを言ってます。それはわかるんだけど、しかしそのことが何を指す比喩なのか、は、わかりません。
と正直に言ってくれています。「わからんことはわからん」というのが朱先生のいいところです。
注2 「楚雨」は、唐の、杜牧より少し先輩になる王昌齢の名高い七絶「芙蓉楼にて辛漸を送る」以来、「冷たい冬の雨」であることになりました。
解説しようとすると明日も忙しいしどうすればいいのか・・・。お、ここにいい解説があるぞ。これでも読んでおいてください。十数年前の解説のようだが、筆者は必ずや高邁の士の、世に容れられずにあったものであろうか。今はどういう生活をしているのであろう。心配です。
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