天下嗷嗷(天下嗷嗷(ごうごう)たり)(「桯史」)
いろいろうるさいやつはあちこちにいるんでしょう。

あんたらこんなやつら知っとるか?もはや声無き声も無く、滅びゆく地方のモノたちだ。特に山陰のやつ。
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北宋の煕寧七年(1074)四月に、王安石は宰相を辞めて、金陵(南京)に帰りました。左遷されたわけではなく、新法も軌道に乗り、後進(←こいつらがワルいやつらだったらしいんです)に道を譲って「荊国公」の称号をもらって隠棲したんです。
是秋、江左大蝗。
この秋、江左、大いに蝗す。
この年の秋、長江左岸、すなわち(南京を含む)江蘇地方に、イナゴの災害が広がった。
有無名子題賞心亭。
無名子の「賞心亭」に題する有り。
南京の有名な宴会場である「賞心亭」に誰かが落書きで詩を書いて行った。
青苗免役両妨農、天下嗷嗷怨相公。
青苗・免役、両(ふたつ)ながら農を妨げ、天下嗷嗷(ごうごう)として相公を怨む。
新法として導入された「青苗法」と「免役法」、この二つはどちらも農業生産や農村秩序をぶち壊したとして、
天下あらゆるところで、「ごうごう」と大騒ぎして、宰相(の王安石)さまを怨んでいる。
ところが、
惟有蝗虫感恩徳、又随釣旆過江東。
ただ蝗虫のみ恩徳に感ずる有りて、また釣旆(ちょうはい)に随いて江東を過ぐ。
ただイナゴ虫のみなさんだけは(宰相さまの)恩徳に感じ入ったらしく、
公爵の地位を示す「つりばた」(棒から下げるタイプの旗)のあとに従って、この江左の地にお見えになった。
宴会場でおふざけに作った詩なのでしょう。
王安石は、ある日、ひとの送別会があって「賞心亭」にやってきた。
至亭上、覧之不悦、命左右物色、竟莫知其為何人也。
亭上に至り、これを覧て悦こばず、左右に命じて物色せしむるも、ついにその何人たるやを知るなし。
亭の上階に来て、この落書きを見て不快になり、使用人たちに命じて作者を探させたが、ついにいったい誰だったのか、わからなかった。
一説には当時の文人・劉貢父だったともいう。
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宋・岳珂「桯史」巻九より。コメの値段高くした、ぐらいしか覚えてないからイナゴ連れてくるよりいいか、と思っているひとも多いかも。「戦前日本の軍国主義」同様にとどまるところを知らぬ「東京一極・格差拡大主義」に抵抗していたのかも知れませんがあんまり効果はなかったように見えます。いや、拡大を推進していたのかな。もう総理の能否や人格の問題ではないのでしょう。阿部信行とか米内光政とかそんな感じでは?
今日も暑かったが、経済や社会は低温化しているようです。そちらはどんどん涼しくなってきそうですね。
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