9月7日 はんしん優勝の責任を取って総理辞職会見

天下嗷嗷(天下嗷嗷(ごうごう)たり)(「桯史」)

いろいろうるさいやつはあちこちにいるんでしょう。

あんたらこんなやつら知っとるか?もはや声無き声も無く、滅びゆく地方のモノたちだ。特に山陰のやつ。

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北宋の煕寧七年(1074)四月に、王安石は宰相を辞めて、金陵(南京)に帰りました。左遷されたわけではなく、新法も軌道に乗り、後進(←こいつらがワルいやつらだったらしいんです)に道を譲って「荊国公」の称号をもらって隠棲したんです。

是秋、江左大蝗。

有無名子題賞心亭。

青苗免役両妨農、天下嗷嗷怨相公。

ところが、

惟有蝗虫感恩徳、又随釣旆過江東。

宴会場でおふざけに作った詩なのでしょう。

王安石は、ある日、ひとの送別会があって「賞心亭」にやってきた。

至亭上、覧之不悦、命左右物色、竟莫知其為何人也。

一説には当時の文人・劉貢父だったともいう。

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宋・岳珂「桯史」巻九より。コメの値段高くした、ぐらいしか覚えてないからイナゴ連れてくるよりいいか、と思っているひとも多いかも。「戦前日本の軍国主義」同様にとどまるところを知らぬ「東京一極・格差拡大主義」に抵抗していたのかも知れませんがあんまり効果はなかったように見えます。いや、拡大を推進していたのかな。もう総理の能否や人格の問題ではないのでしょう。阿部信行とか米内光政とかそんな感じでは?

今日も暑かったが、経済や社会は低温化しているようです。そちらはどんどん涼しくなってきそうですね。

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