奔走観矚(奔走して観矚す)
やっと普通の日々に戻った感じですね。もちろんかなり暑いんですが。

おれら妖怪も共同幻想にゃんぞ。いると思えばいるし、いないと思えばいなくなる。シュレーディンガーと同じにゃ。
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北宋・真宗皇帝の祥符年間(1008~16)のこと、
京師東南隅醴泉涌、亀蛇見其側、飲之者疾瘳。即其地営祥源観。
京師の東南隅に醴泉涌き、亀蛇(きじゃ)その側に見(あら)われて、これを飲む者、疾瘳(い)ゆ。即ちその地に祥源観を営めり。
首都・開封の町の東南の隅に醴泉(れいせん)が湧いた。そのかたわらには「亀蛇」も出現し、この水を飲んだ者は病気が治ってしまった。そこで、ただちに、その場所に「祥源観」という道教のお寺を建てた。
「醴」(れい)は「あまざけ」ですが、あまざけが湧くわけがないので、あまざけのように旨い水が湧きだした、ということです。「亀蛇」(きじゃ)は「カメとヘビ」ではなくて、ヘビが甲羅をつけて手足が生えたようなカメのことです。このドウブツ(爬虫類?両生類?)が現れると、いいことが起こるはず。
その後、火災などがあって、あちこち傷んだので、
再加繕構、改号醴泉観。
再び繕構を加え、改めて醴泉観と号す。
二回修繕して直し、お寺の名前も「醴泉観」と変わった。
さらに、
熙寧八年、又易傾朽、洊加堊飾、功畢落成、命教坊伶人奏楽于庭。
煕寧八年、また傾朽易く、しきりに堊飾を加え、功畢(おわ)りて落成し、教坊の伶人に命じて庭に楽を奏せしむ。
神宗皇帝の煕寧八年(1075)、また覆い屋が傾き腐敗してきたので、何度か壁の上塗りをした。工程がひととおり終わったので、(お祝いに)宮中の音楽隊に属する芸人たちに命じて、醴泉観の前庭で音楽を演奏させた。
その演奏の最中である。
真武影現于殿脊火珠中、其部従神官旂纛之類、望之悉具。京師奔走観矚数千万人。
真武の影、殿の脊の火珠中に現れ、その部の神官より旂纛(きとう)の類、これを望むに悉く具(そな)われり。京師に奔走して観矚(かんしょく)する、数千万人なり。
神宗皇帝のおすがたが、観の裏側にある火珠の飾りの中に出現し、死後の皇帝に随従すべき神官や旗・旗指物の類、遠くから見ても、すべて具わっているようであった。首都・開封なかの人たちが大騒ぎになって、そのおすがたを拝謁した者は、数万人にも及んだという。
如何に当時開封が世界一、当時地球上にただ一つの百万都市として栄えていようとも、「数千万人」は多すぎます。これは、「数千~数万人」の意です。
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宋・張師正「括異志」巻第一より。実に不思議な現象ですね。ほんとに起こったとするならば。共同幻想というべき事象かも。でもほんとに起こったとしても「今日は眠いから明日にしよう」と思って見に行かないから、共同幻想に参加できなくて残念な思いをすることになるでしょう。
I am youngが通じていると思うのはもしかして幻想では。Ironmanとか聞こえて「なにを言っているのだこのひとは」とか思われて笑われているのかも。

おれでも亀蛇の半分ぐらいはいいことあるかもでにょろん。ペットにしてかわいがれでにょろん。
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