午窗欹枕(午窗に枕を欹(そばだ)つ)(「壎篪小集」)
階段昇ったりするのもツラくなってきました。これはもうダメだ。不用になった土のように捨てられるか、リサイクルされてまた栄養ぶちこまれて労働過程に回されるか、いずれにしろちょっと休息の方法を考えねば。ノルマなど忘れて、冷房の効いた部屋で空を見上げて数日を過ごすのがいいのですが、まだ明日は平日だからなあ・・・。

みとっぽは仲間割れさえしなければのう・・・
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誰言天上白雲閑、朝去晩来幾万変。
誰か言う天上の白雲は閑なり、と。朝に去り晩に来たり幾万変ぞ。
誰が言ったのであろうか、「天上の白雲はのどかだなあ」と(間違ったことを)。
朝に飛んできて夕方には飛び去ってその間も形を何万回も変えているのだぞ。
白雲は、
何及閑人閑有余、午窗欹枕看舒巻。
何ぞ及ばん閑人の閑余り有りて、午窗に枕を欹てて舒巻を看るに。
どうしてもかなうまい、ヒマ人(のわし)がヒマを持て余しながら、
真昼間の窗から、まくらを横立てて雲の延びたり丸まったりするのを見ているのに。
わたしも昼間、窗の外を見ているのですが、雲の舒巻を見るヒマなどなく居眠りしてしまうのである。
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本朝・青山延寿「雲」(「壎篪小集」より)(「東瀛詩選」巻二五所収)。青山延寿は水戸の青山四兄弟の末っ子です。四人は水戸学を代表する一人、青山拙齋の子で、それぞれ史と詩に優れた。「壎篪小集」は四人の詩を集めたもの、ちなみに「壎」(けん)は「つちぶえ、オカリナ」、「篪」(ち)は竹製の横笛、いずれも素朴原始の楽器である。
延寿の詩では、そのまま筑波山登山の紀行記になってる古詩「登筑波山」が佳いと思いますが、
茫茫天宇間、虫豸亦狼藉。
茫茫たる天宇の間、虫豸(ちゅうち)もまた狼藉す。
はるかな天地宇宙の間には、ムシやケモノもまた悪さをしまくっている。
で始まり、蚊と「先生」(自分のことです)との戦いを画く「蚊」という詩もおもしろいです。上の「雲」もそうですが、近代の抒情詩と言ってることが違わなくなってきていて、われわれにも読めるんです。
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