飲水無度(飲水度無し)(「双槐歳鈔」)
南関東地方37度、名古屋40度のすごい暑さとの予報でした。暑かったしふらふらになり、意識を失うかも、というぐらい記録的に暑かった。飲料水(いわゆる「冷やし物」)やアイスなどをがりがり食って腹が破裂しそうになりました。歩くのもイヤですがスマホが熱持って使えなくなった。でも、要するに過去の自分の経験との比較ですごく暑かったのであって、これから先の地球温暖化、ヒートアイランド化の進んだ未来の暑さに比べれば大したことありませんでしたね、と言っておきますね。未来のことはわたしは知りませんけど、みなさんは必ず「あまりにも暑い。むかしは大したことなかった・・・」とつぶやくに違いないであろう。

最近の夏は、熱中しながら、こんなのに水入れてがんがん飲むことが多い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明の正統年間(1436~49)のことだそうですが、浙江・呉江の周礼という人、広西の思恩というところに行商に出かけた。その地で、陳氏の女がしばらく前にだんなを亡くして実家に帰ってきていたところへ婿入りして、世帯を持った。
凡二十年、有子已十六歳矣。
およそ二十年、子有りて已に十六歳なり。
それからだいたい二十年、子ども出来て、そいつがもう十六歳になった。
実家を出てから二十年経ったというので、周礼は一度実家に帰ってみることにした。女房は止めるように言ったが、周は聴かない。息子に「広い世間を見せたい」から息子も連れて行くという。いよいよ出発という前の日の晩に、女房は「仕方ないわねえ」と周のために特別に豪華な料理を作って餞別した。
女房、朝の見送りの際に、息子にそっと言うに、
置蠱食中、父不知也。若父肯還、則与医治。
蠱を食中に置く、父知らざるなり。もし父還るを肯ずれば、すなわち医治を与えよ。
「蠱」(こ)は皿の上にムシがたくさんわいている、という文字です。そういうの想像するだけでイヤになるひとがいるかも知れませんが、古代人的には皿の上のものが熟して美味そうになって、ついにムシがついて毒が発生した、大変だ事件だ!事件といえばあそこの奥さん別嬪だぜ・・・という流れから、①ムシ。特に食べ物や人体内に入り込む寄生虫、②ひとや食べ物を損なうもの、害悪、③人に害を為すまじない、そのために使われるムシなどのドウブツ、あるいはそれを行う人、④事、事件、⑤なまめかしく美しい、というような意味に使われます。
「まじないドウブツ」を食べ物に中に入れといたのよ。お父さんは気づいてないけどね。もしお父さんが(行きっ切りでなく)こちらに帰ってくる気持ちがあるようなら、治療してあげるのよ」
気持ちが無ければそのまま治療されないのです。
因授以解蠱之法。
因りて授くるに解蠱の法を以てす。
そう言って、おふくろは息子に、「動物まじないを解除する方法」を伝授した。
周礼父子は数か月の旅をして周の実家に着いた。
そのころから、
蠱発、腹脹、飲水無度。
蠱発し、腹脹(ふく)らみ、飲水度無し。
まじまいが発動し、腹がぽんぽんに膨らんで、水を限りなく飲むようになった。
其子因請還期、礼曰、吾亦思汝母、奈病何。稍瘥即行矣。
その子、因りて還期を請うに、礼曰く、吾また汝の母を思うも、病せるを奈何(いかん)せん。やや瘥(い)ゆれば即ち行かん。
息子は広西に帰る時期を決めてほしいと言ったところ、周礼が言うに、
「わしもおまえの母さんのことがそろそろ気になってきた(ので帰ろうと思うのだ)が、病気になってしまったので帰ることができそうにない。少しでも治ったらすぐ帰ろう」
そこで、息子は言った、
「よかった。帰る気はあるんだね。それなら、
児能治之。
児、よくこれを治す。
おいらはなおすことができるよ」
そして、
反接礼于柱上、礼告渇、以瓦盆盛水近口傍、欲飲、即掣去之。
礼を柱上に反接し、礼渇くを告ぐるに、瓦盆を以て水を盛りて口傍に近づけ、飲まんとするに、即ちこれを掣去す。
父の周礼を柱の上に縛り付けた。周礼が「のどが渇いた」と言うと、陶器の深皿に水を入れて、礼の口の近くまで持って行く。縛られた周礼が、水を飲もうと口を近づけると、そこで邪魔をして水を引っ込める。
如是者亡慮数百次、煩劇不可当、遂吐出一鯽魚。溌剌尚活。腹遂消。
是くの如きこと亡慮数百次、煩劇当たるべからずして、遂に一鯽魚を吐出す。溌剌として尚活く。腹遂に消えたり。
「鯽魚」は「ふな」のことだそうです。
こんなことを何度も何度も数百回続けたところ、水を飲みたさが激しくなってたいへん大騒ぎし、ついに一匹のフナを口から吐き出した。このフナ、はつらつとしてまだ生きており、一方、周礼の腹の方はへっこんで楽になった。
よかったですね。ついでに内臓脂肪も燃焼させることができればよいのですが、そちらは無理でしょう。
蓋蛮中多有限年限月之蠱、稍逾期、則毒発不可救。故寡婦号鬼妻、人不敢近、旅客娶之、多受害焉。
けだし、蛮中多く「限年限月」の蠱有りて、稍(やや)も期を逾ゆれば、すなわち毒発して救うべからざるなり。故に寡婦は「鬼妻」と号して人あえて近づかず、旅客これを娶りて多く害を受く。
実際のところ、南の異民族地帯では、一定の年月を限って発動する「動物まじない」があり、少しでも時期を過ぎると毒が発動して人体を破壊し、もう救いようがなくなるのである。そこで、(だんなの死んだ寡婦はこの術を使った可能性があるため)寡婦は「死者の妻」と呼んで普通のオトコはあまり近づかない。しかし、旅びとはそういうことを知らないので、寡婦のところに入り込んで、害を受けるやつが多いのである。
アブなかった。気をつけます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明・黄瑜「双槐歳鈔」巻五より。この本、五年ぐらい前に読んでいるようですが、その時にわたくし「コワイヨー」という感想をメモしています。でも問答無用にコロすのではないんですから、「大してコワクナイヨー」と書くべきでしたね。
コメントを残す