誠不誣也(誠に誣せざるなり)(「山居新語」)
本当にこんなことがあったのであろうか。ウソではないと言っているのだからあったのであろう。

ドウブツが人間の言葉をしゃべるのは、かちかち山やブレーメンの音楽隊で明らかなになっており、当たり前のことでモー。
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元の至正八年(1348)、杭州でのことじゃ。塩商の施なんとかの家で、
猪檻中母猪自啖其子。
猪檻中の母猪、自らその子を啖えり。
ブタの檻の中の母ブタが、自分の子どもの子ブタを食ってしまった。
喂猪者往棰之、忽為人言曰、因你不喂我、自食我子、関你何事。
喂猪(いちょ)者往きてこれを棰(つえう)つに、忽ち人言を為して曰く、「你の我に喂せざるに因りて自ら我が子を食う、你の何事か関せんや」と。
「おまえ、何すんだよ」
ブタのえさやりが檻のところに行ってこのブタを棒で殴りつけたところ、ブタは突然、人間の言葉で話し始めたのだ。
「おまえさんがあたしにエサを与えないから、あたしは自分の子どもを食ったんじゃないのさ。自分で自分の子どもを食っただけなのに、おまえさんに何の関係があるのかね?」
「あわわ」
喂猪者大驚、往報施生。
喂猪者大いに驚き、往きて施生に報ず。
ぶたのエサやりは大いに驚いて、飛んで行って施なんとかに報告した。
施「生」と言っているので、彼は地域の学校の生徒の資格を持っている読書人階級なのでしょう。
「そんなことがあるのか?」
施生がブタ小屋に行ってみると、もうたくさん人が集まっていて、口ぐちに、
或曰可殺、或曰貨之。
或いは曰く、「殺すべしと、或いは曰く、「これを貨せ」と。
「ころしちまえ」と言う者もいるし、「事情を知らないやつに売ってしまえ」と言う者もいる。
すると、ブタはまた言った、
我只少得你家三十七両五銭、売我還你便了、何必鬧。
我ただ你の家に少得すること三十七両五銭のみ、我を売るはまた你の便了なり、何ぞ必ずしも鬧(さわが)んや。
「あたしはおまえの家にたった三万七千五円の利益しかもたらさないけど、あたしを売るかどうかは、あんたの好き放題にすればいいよ。何をぎゃあぎゃあ騒いでいるんだね?」
「むむむ」
遂売之、果得三十七両五銭而止。
遂にこれを売るに、果たして三十七両五銭を得て止む。
結局ブタを売ったが、確かに三万七千五円しか値はつかなかった。
さてさて、
古有中宵牛語之説、誠不誣也。
いにしえ、中宵に牛語するの説有り、誠に誣ぜざるなり。
むかしから、満月の夜にはウシが人間の言葉を話す、という学説があるが、本当にウソではなかったのだ。
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元・楊瑀「山居新語」より。やっぱりウソではないようです。ブタも人間の言葉を語るとは、高い文化のいしずえがあるのでしょう。東洋では文化なんてそんなもんでは?
今日は反省して休もうかと思ったのです(明日朝が早いし、ウソではなかったんです)が、2号の失態をわたしが責任とるのも変なので更新しました。
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