将鴎与鶩比(鴎を将って鶩と比ぶ)(「袁中郎集」)
またこの人の詩です。

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明の時代のことですが、
浪子由来苦、行人大抵労。
浪子(ろうし)は由来苦しみ、行人(こうじん)は大抵労(つか)れたり。
「浪子」は「なみこ」ではなく、放浪者、定住しないならず者。「行人」は旅人です。
放浪する者は本来的に苦しむものであり、旅行く人はたいてい疲れ果てている。
これはいい対句ですね。どこかで使えるかも。
今も旅行くわたしに対しては、
山雲低圧帽、渓雨悪侵袍。
山雲は低(た)れて帽を圧し、渓雨は悪しくして袍を侵す。
山の雲が低く垂れてきて帽子を押さえ付け、谷に降る雨はひどいことに上着の中まで濡らしてくる。
欲得恣心意、除非伐頂毛。
「欲得」は「得んと欲す」なので結局「欲す」と言う意味です。「除非」は「非ざるを除く」で「それだけ」と言う意味ですから、「ただ」と訓じます。
心意を恣(ほしい)ままにせんと欲得(ほっせ)ば、除非(ただ)に頂毛を伐(き)らんのみ。
思い通りに行きていこうとすれば、ただ一つ方法がある、頭の毛を切って(出家して)しまうことだ。
だが、さて、
将鴎与鶩比、畢竟是誰高。
鴎を将って鶩を比ぶるに、畢竟(ひっきょう)これ誰(いずれ)か高き。
「鴎」(かもめ)は「荘子」などで自由な心を持つ鳥として現れます。一方、「鶩」(あひる)は「楚辞」にニワトリとともに飛ぶことも出来ずに食べ物を争っている鳥、として登場。「かもめ」はわたしのような在野の自由人で、「あひる」はわたしのように日々の暮らしのために争う民衆の比喩なのでしょう。(どちらも「わたし」なのはコピペに間違いなどではありません。)
自由に空を飛ぶカモメと日々の生活に忙しいアヒル、この二つをくらべてみたとき、君はどちらが高尚だと考える?
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明・袁宏道「新安江」其三(「袁中郎集」所収)。カモメとアヒルは比較優位がないのかも知れません。
今日は東北に来ております。旅から旅の境遇です。苦しいなあ。ホテルで朝飯ちゃんと食うと体重が増えてしまう。
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