病起偶題(病より起きてたまたま題す)(「袁中郎集」)
夏バテ→居眠り→起きる→バテる、の繰り返しを何とかしなければ。

もう長く静かに眠ってもいいのかも知れませんよ。
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明の時代に病気になってたんですが治って起き上がりました。
対客心如怯、窺銅只自憐。
客に対するに心怯むが如く、銅を窺いてただ自ら憐れめり。
お客さんに会うとなんだか心が怯んでしまう。
銅の鏡を覗き込んでは、自分が可哀そうになってくる。
病気で寝込んでいたので、しばらく他人を話をしていなくて、おどおどしてしまうんです。世間のことも分からなくなってしまったし、ずいぶんやつれてしまいました。
ふがふが。
負暄疏敗髪、発篋理残篇。
暄(けん)を負いて敗髪を疏(くしけ)ずり、篋(はこ)を発いて残篇を理(おさ)む。
日光を背中に受け(てあたたまり)ながら、ぼろぼろの髪をくしけずり、
竹の箱をを開いて、作りかけの詩文を整理しはじめる。
少しは身だしなみを整え、また、文学活動なども開始しようとしているのである。人生をもう一度やり直せるかも知れない。
名豈儒冠誤、病因濁酒痊。
名は豈(あに)儒冠に誤られんや、病は濁酒に因りて痊(い)ゆ。
この二句は杜甫の「儒冠多く身を誤まる」(「韋左丞に贈奉す」)、「新たに止どむ濁酒の杯」(「登高」)に基づくようです。
わしは痩せこけてしまったから、儒者の冠をつけているかちこちの儒学者だと間違われてしまっていないだろうか。
(杜甫は病気のために濁り酒を止めたそうだが、)わしの病気は濁り酒のおかげで治ってしまったようなものだ。
浮生喩泡影、何以楽青年。
浮生は泡影に喩えらる、何を以てか青年を楽しましめん。
(「金剛般若経」に曰く)ふわふわと浮ついたこの人生は、水に浮かぶ泡の作る影、のように実体もなく、あっという間に消えゆくものだ。この先の日々どのようにして楽しくしていけばいいのだろうか。
どうしますかね。
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明・袁宏道「病起偶題」(病いより起きてたまたま題す)(「袁中郎集」所収)。軽いんですけどそこそこ背景のあるいい詩ですね。
夏バテで疲れたままでこれからも生きていくのは、まあ、でも、はつらつとしているよりはいいかも。にやにやして人のやっていることに文句つけたりすると案外楽しいかも知れません。とはいえ、せっかく一念発起して片付けている人に文句つけてはいけません。・・・「元の木阿弥」って大和筒井氏関係者だったんですね。奈良県の人なのか。
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