雲消雨霽’(雲消え雨霽れたり)(「清通鑑」)
暑いですね。一雨どっときて涼しくなるといいですね。

「お、おんなは・・・」
トランプさんなら言ってくれるかも。
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↑などと天気を甘く見てはいけません。雲消え、雨が晴れ上がる前がコワいんです。
義和団事変の時(光緒二十六年(1900))、清朝(西太后政権)は、義和団に乗っかって欧米日の八か国に宣戦布告をしてしまいました。軟禁状態で実権を持っていなかった光緒帝をはじめ一部のまともな臣下は反対したのですが、阿諛した者も多かった。ところがこれが大失敗で、八か国軍が北京に攻めてくると、西太后は側近たちとともに(光緒帝を連行して)長安に避難します。この時、光緒帝の愛姫を井戸に沈めて殺してしまったのは有名ですね。(笑)
長安に避難した後、八か国軍に降伏し、莫大な賠償金と引き換えに和議が成立するのですが、この時に随従した人たちの中に呉永という堅実な官僚がいました。
彼が後に語ったところよると、
某日、奏請昭雪以反対開戦被殺之大臣徐用儀、許景澄、袁昶三人。
某日、開戦に反対せしを以て被殺の大臣徐用儀、許景澄、袁昶の三人を昭雪せんことを奏請す。
(すでに和議も整った)ある日、(避難先の離宮で)八か国への宣戦に反対して誅殺された大臣、徐用儀、許景澄、袁昶(えんちょう)の三人について、無罪だったとする処置を取るよう奏上した。
すると、
言尚未尽、突見太后臉色一沈、目光直注、両腮進突、額間筋脈悉僨起。
言尚未だ尽きざるに、太后の臉色一沈し、目光直注、両腮進突して、額間の筋脈悉く僨起せるを突見す。
その言葉がまだ終わらないうちに、西太后の顔色が一気に白くなり、目の光がまっすぐに(わたしに)注がれ、両方のほほからあごにかけてこちらに向かって張り出し、額にはすべての筋が浮き出してきたのが見えた。
露歯作噤齘状。
歯を露わし噤齘の状を作す。
歯は剥き出しになり、ぎりぎりと(怒りを)噛み締めておられた。
歯が剥き出しだというのですからヤバい。そして、
厲声曰、呉永。連你也這様説耶。
厲声にして曰く、呉永。連れて你もまた這の様に説く耶。
はげしい声でおっしゃった。
「呉永! おまえまでこんなことを言うのかえ!」
猝見此態、惶悚万状。
猝(にわ)かに此の態を見、惶悚万状す。
突然こんな姿を見たので、わたしは恐れおののき、一万回ぐらいお詫びを申し上げた。
忽而雲消雨霽。依然無迹、可謂絶大幸事。然予真已汗流浹背矣。
忽ちにして雲消え雨霽れたり。依然として迹無く、絶大の幸事を謂うべし。然るに予、真に已に汗流浹背せり。
あっという間に雲が消え、雨が晴れ上がったように(お顔が穏やかになり)、前と同様となって痕跡も無かった。ほんとうにあり得ないほどのお恵みであるというべきであろう。ただ、わたしはその間に、本当に汗が流れて背中がじっとりと濡れていた。
不意太后盛怒時、威棱乃至如此。
意わざりき、太后の盛怒の時、威棱すなわちかくの如きに至れるとは。
西太后が本当にお怒りになられると、その威力と威厳はこれほどになられるとは思いもしていなかった。
ああ。
昔人謂曾李両公当時威権蓋世、一見太后皆不免震懾失次、所伝固当不虚也。
昔人謂うに、曾・李の両公、当時威権世を蓋うも、一たび太后を見るやみな震懾して失次すと、伝わるところもとよりまさに虚ならず。
「曾」は太平天国を討伐した曾国藩、「李」はその後継者で、北洋艦隊を率いて日清戦争を戦った李鴻章のことです。
かなりの先輩たちから聞いたことであるが、曾国潘と李鴻章のお二人は、威厳も権限も世界を蓋うぐらいの方であったが、西太后にお目通りするときは、いつもぶるぶると震え、失態を仕出かしてしまったものだ、と。その伝説がウソではなかったことが本当にわかった。
救国の英雄たちも形無しだったのですなあ。
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「清通鑑」巻二六五より。ははは、情けないひとだな。心も貧しいのでしょう。おれだったら、「えらそうなことを言うんじゃないきに。ちいせえ、ちいせえぜよ!」と言いながら、ぼかーんとやっつけて
おんなはおとなしくしてるもんだぜ!
と、言ってやってたのになあ。その場にいなくて残念です。
・・・と、不適切斎が来て勝手に書きこんでいきました。時々現れるのでほんとに困るなあ。肝冷斎一族なら上司に叱られたら恐怖で心臓収縮したり、お詫びや言い訳もできずに要らんこと言ってもっと怒らしたりしてしまうだけですからね。不適切斎は肝冷斎とは相いれないものがあると言えよう。
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