8月17日 乾燥してかちかちになってくでー

吾与若戯(吾、なんじと戯る)(「括異志」)

今日ぐらい暑いと体内の湿気が蒸発してカチカチになってしまうのでは。

鏡大事にしてね。

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宋の天聖年間(1023~32)、洛陽近郊の道観の主(住職)をしていた張酒酒という道士がいた。本名は不明、出身地もわからない。

善淬鑑。経其手則光照洞澈、他工不可及。

「淬」(さい)は鍛造過程で「焼きを入れる」ことですが、「研磨する」の意味もあります。張道士の作業も単なる研ぎだけではないようですが、「鏡磨き」と訳しておきます。

あるとき、

童稚持鑑来治者、遇酔。則或抵破之、或引之長三尺。小児驚呼。

道士、笑いながら言うに、

吾与若戯。

乃取薬伝其上、以敗毡覆之、摩拭良久、清熒如故。

得銭唯買酒、未嘗一日不酔。

ここまでならただの変なおじさんですが、

一旦、払衣入王屋山、立而尸解于薬柜山中。

「尸解」はこの世では確かに死ぬのですが、死体を残さないなどの奇瑞を示して、仙界に移動することをいいます。ただし、以下のとおり、彼は死体を遺しているので、厳密には尸解ではないのですが、広義では尸解になる、ということだと思われます。

始、村人見有人立于岩石之上、久而不去、経旬往視之、故在。遂聞于郷。

樵夫就而察之、乃一道士拱立且僵也。

「あわわ、なんじゃこれは!」

樵夫以為不祥、推倒之。

邑尉検視、頂有一竅、如鶏卵大。殊無血漬、面色如生。

「これはもしかすると・・・」

発見者のキコリを呼んできて話を聴くと、岩石の上に立っていたのだという。

「なんじゃと。それではこれはやはり・・・、しかしそうだとすると岩石からひとりでに落ちて来るはずがないぞ」

「それは・・・」

尉聞樵夫推倒。

「なんじゃと! ばっかも~~ん!!!! これは、尸解仙さまじゃ!」

「ええーーー!!!!」

尉鞭之、即瘞放于解化之地。

年恰好からみて、誰もがこれは張道士であると信じて疑わなかった。

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宋・張師正「括異志」巻第七より。確認取れてないようですが、このあたりのいい加減さがチャイナのいいところ。いろいろきちんとやっていいことなんか、あんまりありませんからね。
チャイナの知識人は肉体労働を忌避するのですが、この道士さんはじぶんで手を動かしているから信頼できます。

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