吾与若戯(吾、なんじと戯る)(「括異志」)
今日ぐらい暑いと体内の湿気が蒸発してカチカチになってしまうのでは。

鏡大事にしてね。
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宋の天聖年間(1023~32)、洛陽近郊の道観の主(住職)をしていた張酒酒という道士がいた。本名は不明、出身地もわからない。
善淬鑑。経其手則光照洞澈、他工不可及。
鑑(かがみ)を淬(さい)するを善くす。その手を経れば光照洞澈し、他工及ぶべからず。
「淬」(さい)は鍛造過程で「焼きを入れる」ことですが、「研磨する」の意味もあります。張道士の作業も単なる研ぎだけではないようですが、「鏡磨き」と訳しておきます。
鏡磨きが得意であった。彼が作業すると光輝き、反射光が相手を透徹するほどであり、他の職人の及ぶところではなかった。
あるとき、
童稚持鑑来治者、遇酔。則或抵破之、或引之長三尺。小児驚呼。
童稚鑑を持ちて来治する者、酔に遇う。すなわち或いはこれを抵破し、或いはこれを引いて長さ三尺にす。小児、驚き呼ぶ。
幼い子どもがお使いで、鏡を持ってやってきた。道士はちょうど酔っぱらっており、ばりばりと破いてみたり、引き延ばして一メートルの長さにしてみたり、いろいろいたずらをした。子どもはびっくりして、大騒ぎしはじめた。
道士、笑いながら言うに、
吾与若戯。
吾、若(なんじ)と戯るなり。
「わしはおまえと遊んでみただけじゃよ」
乃取薬伝其上、以敗毡覆之、摩拭良久、清熒如故。
すなわち薬を取りてその上に伝え、敗毡(はいせん)を以てこれを覆い、摩拭することやや久しく、清熒もとの如し。
そこでクスリを出してきて鏡の表面に広げ、破れた毛織物で全体を覆い、こすったり拭ったりをしばらくしていたが、(やがて毛織物を取り去ると)以前のように美しく輝いているのであった。
得銭唯買酒、未嘗一日不酔。
銭を得ればただ酒を買い、いまだ嘗て一日も酔わざるなし。
工賃を得るとお酒を買ってしまい、これまで一日も酔ってない姿を見たことないほどであった。
ここまでならただの変なおじさんですが、
一旦、払衣入王屋山、立而尸解于薬柜山中。
一旦、衣を払いて王屋山に入り、立ちどころに薬柜山(やくきょさん)中に尸解せり。
ある日の朝、「よし」と衣の裾を払って立ち上がると、河南の聖地・王屋山に向かい、すぐに薬柜山の中で、困難といわれる尸解(しかい)をすることに成功したのである。
「尸解」はこの世では確かに死ぬのですが、死体を残さないなどの奇瑞を示して、仙界に移動することをいいます。ただし、以下のとおり、彼は死体を遺しているので、厳密には尸解ではないのですが、広義では尸解になる、ということだと思われます。
始、村人見有人立于岩石之上、久而不去、経旬往視之、故在。遂聞于郷。
始め、村人、人の岩石の上に立ちて久しく去らざる有るを見るに、旬を経て往きてこれを視るに、故(もと)に在り。遂に郷に聞す。
最初、山仕事に入った麓の村のひとが、高い巌の上に誰か人が、じっと長い間立っているのを目にしたそうである。十日ほどしてからまた山に入ったところ、もとのところにまだいた。そこで、村に戻ってその話をしたので、そのあたり一帯でウワサになった。
樵夫就而察之、乃一道士拱立且僵也。
樵夫就きてこれを察するに、すなわち一道士の拱立してかつ僵(きょう)せるなり。
キコリが「自分が見て来よう」と言って見に行ったところ、なんと、道士が、手を前で握る一礼をして立ったまま、かちかちの死体になって腐敗しなくなっていたのである。
「あわわ、なんじゃこれは!」
樵夫以為不祥、推倒之。
樵夫以て不祥なりと為し、これを推倒す。
キコリは「これは不吉じゃ」と思い、その死体を押し倒してしまった。
邑尉検視、頂有一竅、如鶏卵大。殊無血漬、面色如生。
邑尉検視するに、頂に一竅有りて、鶏卵の大なるが如し。ことに血漬無く、面色は生けるが如し。
町から警察官が派遣されてきて、死体を検分した。頭頂部に穴が開いている。ニワトリのタマゴぐらいだ。穴の周辺を調べたが、特に流血したような跡はない。死体はカチカチになっているが、顔の色は生きているかのようである。
「これはもしかすると・・・」
発見者のキコリを呼んできて話を聴くと、岩石の上に立っていたのだという。
「なんじゃと。それではこれはやはり・・・、しかしそうだとすると岩石からひとりでに落ちて来るはずがないぞ」
「それは・・・」
尉聞樵夫推倒。
尉、樵夫の推倒せるを聞く。
警察官は、キコリが押し倒したので落ちてきたのだ、と聞いた。
「なんじゃと! ばっかも~~ん!!!! これは、尸解仙さまじゃ!」
「ええーーー!!!!」
尉鞭之、即瘞放于解化之地。
尉、これを鞭うち、即ち解化の地に瘞放せり。
警察官はキコリをムチでぶん殴り、すぐに御死体を岩の上に運ばせて、そこにお埋めしてこの世から解放したのである。
年恰好からみて、誰もがこれは張道士であると信じて疑わなかった。
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宋・張師正「括異志」巻第七より。確認取れてないようですが、このあたりのいい加減さがチャイナのいいところ。いろいろきちんとやっていいことなんか、あんまりありませんからね。
チャイナの知識人は肉体労働を忌避するのですが、この道士さんはじぶんで手を動かしているから信頼できます。
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