8月15日 ウソでなければ語り継ぐのはいいですね

春尽即還(春尽くれば即ち還る)(「宋稗類鈔」)

天皇陛下がおことばで「語り継ぐ」ようにおっしゃられた。黙して墓場まで持っていくな、とおっしゃったのである。もう清算はされた、というのである。でもみんな時々ウソを言うと思います。そのときはみんなで「ウソ言うな」と言わないとね。

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北宋の末ごろ、山東・青州に劉跛子というひとがいた。片足が不自由で、かつ道教の修行者らしかったので、「跛子」というのである。本名はよくわからない。

湖南の太守だった張天覚が大臣に任命されることになって、都・開封に向かう途中、洛陽の町を通った。このとき、劉跛子は洛陽にいる季節で、

適与客飲市橋。聞車騎過甚都、起観之。

「なんだ、張天覚じゃないか」

跛子挽丞相衣、使且共飲。

護衛兵もいたのだが、彼らも対処できないぐらい当たり前のように近づいたのである。

その時、跛子がうたった詩。

争如与子市橋飲、且免人間寵辱驚。

俗語の「争如」にはいくつか意味があるようなのですが、ここでは「如かざるがごとし」(それが一番いいだろう、それにはかなわない)の意味に解しました。

おまえさんが出世したのには、おまえさんもだろうがわしも驚いた。出世した以上、次は落ちぶれるからな。その時はびっくりせずに泰然としていよう。

一時称其俊爽。

劉跛子は、山東の人で、

常拄一拐。

それなのに、

毎歳必一至洛陽看花、館范家園。春尽即還。

范家の若いひとたち、洛陽の町の人たち、みんな彼を愛し、彼に親しんだということである。
彼がしていたのは、人脈による「仕事」かなんかわかりません、「活動」の一種でしょうか。

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清・潘永因「宋稗類鈔」巻四「放誕篇」より。やがて靖康の変で金の占領下に陥いった洛陽の町では、長く劉跛子のことが語り継がれたという。

彼はやがてくる国家の衰亡をも予見していたのであろうか。

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