8月11日 山の日だからお祝いだ、だが一体何を?

肉食者鄙(肉食する者は鄙なり)(「墨余録」)

「山の日」を祝う人為的な意味はよくわかりませんが、要するに立秋祭なのであろう。海の日が大暑の至ったことを祝う祭りと思われますので、海の日と山の日の間にうなぎ食っとけ、という国家の思し召しであろう。食いませんけど。秋になってから食います。

いつまでも黙って食べられてるだけだと思うなよニョロ。

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あちこち登山してたひとのお話をしましょう。山の実をくれるかも知れません。

清の道光年間といいますからアヘン戦争のころですが、浙江・呉門に眠雲山人というひとがいた。姓は陸氏で、三国呉の大司馬・陸抗の子孫であるという。読書を好み、詩才有り、文章はもっとも世間を驚かせ、しばしば科挙試験を受けたが、

終不合有司尺度、因棄挙子業。

「有司の尺度に合わず」はいい言い方ですね。勉強になる。
その後は、

放情於山巓水涯、所歴名山大川不知凡幾。

ある時は、西北の崑崙山脈からチベット、さらにインドに行こうとしたが、途中で路銀が尽きて帰ってきたこともあったという。
こうやって各地を経巡っているうち、わたしとは道光甲辰年(1844)に知り合ったのである。

それ以降、申浦の港を通るときには、必ずわたしの家に寄ってくれるようになった。

毎顧則携山果数筐、分給児輩。

子どもたちには、「みんうんおじさん」として大人気でした。

帰時、余無所贈、惟以筆墨報之、而眠雲特喜甚。

余曰、人言余画疏落、不求暈飾。君独宝蓄之、何也。

眠雲山人が言うには、

子画乃寒畦蔬味、豈足以供肉食者。

やっぱり! そうでしたか! そうですよね!

わたしは言った、

僅如是乎。夫肉食者鄙、固無足算。実告君、余画恰以蔬淡勝、惟如眠雲山人之不火食者、方能賞鑑耳。

「わははは」「いひひひ」

乃相与大笑而別。

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清・毛祥麟「墨余録」巻五より。なんとなく傷をなめ合っているような気もするのですが、二人とも嬉しいんだから、いいか。
それにしても、わたしども肝冷斎派の絵に対する世俗のひとびとの評価が低いのが何故か、ついにわかりました。みなさん、肉を食べなければ肝冷画が好きになりますよ!・・・高齢社会対策で包摂が進めば、こんな話でも聞いてくれるようになるのであろう。ああよかった。

ユーもアメリカンビーフを食べてみな、できれば上か特上をな。

HAHAHAHA!

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