鼓掌歓呼(掌を鼓ちて歓呼す)(「清通鑑」)
明日は立秋。涼しくなっ的ますよ。

浪漫的とはいうけれど豊満的とわないのはなぜか。
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清・光緒三十一年といいますから、1905年、今から(わずか)120年前のことでございます。盛夏六月二十八日(太陽暦では7月30日じゃ)午後、黄興、宋教仁らが留日学生七十余人に集合をかけた。(現代文なのでほとんどの文章は読み下しが要らないと思いますので、現代語訳だけつけていきます。眠いし)
在東京赤坂区檜町三番地黒龍会本部、召開会議。
東京の赤坂区檜町三番地の黒龍会本部において、会議を開くため招集したのである。
今はでかいパークタワーが建っているあたりだそうです。現状では、われわれ(一般国民)の出入りできるところではなさそうですね。
孫中山先演説革命理由、革命形式及革命方法、主張全国革命者必須合組新団体、進行排満革命。約一時許。
孫中山(孫文)が最初に演説した。革命を行う理由、革命のかたち、そしてその方法について説き、全国の革命者が心を合わせて新しい団体を作り、満州人を排斥する革命を進めねばならん、と主張した。
衆咸賛同。
衆、みな賛同せり。
集まってきたやつらは、みんな賛成した。
継由黄興宣告今日開会之目的、懸組織革命団体、即請到会人簽名。湖北曹亜伯首先簽名、衆乃皆簽名于一紙。
次に、黄興から、本日の会議を開いた目的について宣告した。革命団体を組織することが議題であり、ただちに、集まった人の署名を願いたいと言った。「ではまずわしが!」とばかりに湖北の曹亜伯というおとこが立ち上がり、第一番に署名した。そのあとに、集まったものたちは全員、一枚の紙に署名したのであった。
孫中山復提議定名為中国革命同盟会。衆人商定為中国同盟会。一般簡称同盟会。
孫中山は今度は会議の名前について、「中国革命同盟会」としてはどうかと提案した。みんなで議論して「中国同盟会」とすることにした。ふつうには、「同盟会」と略称される。
孫中山提議同盟会宗旨為駆除韃虜、恢復中華、創立民国、平均地権。
孫中山、同盟会の宗旨を「韃虜(だつりょ)を駆除し、中華を恢復し、民国を創立し、地権を平均す」と為さんことを提議す。
孫中山から、同盟会の根本原則として、「北方少数民族(満州族・蒙古族)を追い出せ、漢族の文明を恢復せよ、皇帝などいない民衆の国をつくれ、土地の保有を平等にせよ」としてはどうかと提案した。
「むむ」「なんですと」
有数人于平均地権一節、略有疑問。中山乃挙世界革命之趨勢及当今社会民生問題、詳為解釈。
数人、「平均地権」の一節において、ほぼ疑問有り。中山すなわち世界の革命の趨勢及び当今の社会民生の問題を挙げて、詳らかに解釈を為せり。
何人かが、「土地保有を平等にする」のところで何やら疑問を呈した。孫中山は世界の革命の向かう趨勢と、現代の社会の民衆の生活の向上という問題を取り上げて、詳しく説明した。
その説明はこうである。
平均地権即解決社会問題之第一歩方法、吾党為世界最新之革命党、応高瞻遠矚、不当専向種族、政治二大問題、必須幷将来最大困難之社会問題、亦連帯解決之、庶可建設一世界最良善富強之国家。
「土地保有を平等にすることは、つまりは社会問題を解決するために最初に行うべき方法である。われわれの党は世界で最も新しい革命党なのだから、まさに高い見地から遠い将来を見据えて、民族問題と政治(政体)問題という二つの大きな問題に専念するのではなく、あわせて将来最も難しい課題になる社会問題もあわせて考えなければならんのだ。この課題についても連帯して解決し、ひとつの、世界最良最善にして富み強い国家を建設することを願うものである」
「なるほどなあ」「海外の長いひとにはきいてみるものだなあ」
かくして、
終得衆人賛同。
ついに衆人の賛同を得たり。
最終的に、全員の賛同を得ることができたのであった。
ところで、
正議事間、室之後部之木板忽坍倒、声若裂帛。
まさに議事の間に、室の後部の木板たちまち坍倒し、声、帛を裂くがごとし。
ちょうど議事を進行しているとき、部屋の背後の板が突然崩れて倒れた。その音は、まるで絹を裂くかのようであった。
みな一瞬静まったが、
中山笑曰、此乃転覆満清之予兆。衆聞言、鼓掌歓呼。
中山笑いて曰く、これすなわち満清を転覆するの予兆なり。衆、言を聞きて、掌を鼓ちて歓呼せり。
孫中山は笑って言った、「わっはっは、これは、満州人の清帝国がひっくりかえる予兆ですぞ」と。みんな、その言葉を聞いて、手を拍き、「やったぜ!」と喜び叫んだ。
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「清通鑑」巻262より。みんな喜べてよかったです。夏の暑いときにやってたので、みんなちょっとしたことで笑ったり叫んだりする的だったのかも知れません。
文中に「的」がありませんでした。これはこの本の編集方針が「的」≒「の」のような俗語的な使い方はしない、という方針なんだと思います。「之」とか「乃」が使われています。「的」は、手元の角川「新字源」を見ると、国訓(日本での使い方)として、
「てき」 英語の・・・ticの音訳字。「・・・上の」「・・・性の」「・・・風の」「・・・になる」「・・・のような」などの意を表わす。
とあります。明治の誰が使い出したのだろうか。これまで国訓だというのを知らなかったので、新しい知識を得られました。勉強になった。
中国の近代文に出て来る「貴的」(おまえさん)とか「賊的」(どろぼうめ)とかいう「呼びかけ」の使い方も「tic」(・・・のような)の漢訳かと思っていたのですが、これは「ひと・もの」を表わすチャイナの俗語だったことがわかりました。また賢くなった・・・ということは、何か別のことを忘れて行ってしまっているのだろう。大切なことでなければいいのですが。
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