関東觥觥(関東に觥觥(こうこう)たり)(「後漢書」)
関東にいると暑くてしようがないから、他のところに行けば涼しいかも知れないではありませんか。そこで、今日は出かけます。

立派なひとじゃないの。つきあっちゃおうかな。
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「後漢書」郭憲伝、もう一日分ありました。
後漢の光武帝のころ、
匈奴数犯塞、帝患之。
匈奴しばしば塞を犯し、帝これを患う。
匈奴が何度も国境地帯の砦に攻め込んできたので、帝はこれをたいへん心配していた。
本拠地をついて滅亡させてしまえないだろうか。しかし、そのためには膨大な軍事費が必要となる。帝は百官を招集して大会議を行った。
そのとき、郭憲は、
以為天下疲敝、不宜動衆。
天下の疲敝せるを以て、衆を動かずべからずとす。
まだ戦乱の後で、天下が疲弊していると考えて、大きな軍隊を動かすことに反対した。
諫争不合、乃伏地称眩瞀、不復言。
諫争合わず、すなわち地に伏して「眩瞀(げんぼう)せり」と称し、また言わず。
郭憲の諫言はこの際一気にかたをつけたいと思っている光武帝の気持ちに合わず、帝は強引に派兵を決めようとした。すると、郭憲は突然、「おお、めまいがして目が見えぬ」と叫ぶと、床にうつぶせになってしまった。そして、まわりが声をかけても、何も言わなかった。
ほんとうに倒れたのではないことは、そういいながら、帝の方をずっと睨み据えているのでも知られた。
帝、令両郎扶下殿。憲亦不拝。
帝、両郎をして扶けて下殿せしむ。憲、また拝せず。
帝は、参事官二人に両脇から郭憲を助けさせて、宮殿から引き下がらせた。この間も、郭憲は急病で意識がない、というふりなのであろう、帝をにらみつけながらも、退出時の一礼さえしなかった。
帝はおっしゃった、
常聞関東觥觥郭子横。竟不虚也。
常に聞く、関東に觥觥(こうこう)たり、郭子横、と。ついに虚ならざりき。
「以前から何度も聴いていた、「函谷関の向こうの人物では、かちんこちんの郭子横」と。うそではなかったなあ」
郭憲は、そのまま
以病辞退、卒於家。
病を以て辞退し、家に卒す。
病気を理由に辞職して引退し、帰郷して死んだ。
帝はその意を嘉したまいて、ついに匈奴遠征の企てを止め、和睦の道を図ることにしたのであった。
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「後漢書」方術伝第七十二上より。これで郭憲伝はおしまいです。むむむ。これでは立派なひとで、権力者をだまくらかす詐欺師のような「方術士」ではないではありませんか。勉強にならないぞ。もちろんこんなところで教える必要性はありませんが。
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