受衣焚之(衣を受けてこれを焚く)(「後漢書」)
今週はほんと忙しいんですよ。マウス買ってきたおかげでPCは調子いいんで、その分省力化されましたが、五分ぐらいです。

津波の妖怪化がうみぼーじかも。
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前漢の終りごろ、汝南の郭憲、字・子横は、東海の王仲子の弟子となった。ちょうど王莽が大司馬として権力をほしいままにしているころで、王莽は、評判の学者であった王仲子を都・長安に招聘した。
仲子欲往、憲諫曰、礼有来学、無有往教之義。今君賤道畏貴、竊所不取。
仲子往かんと欲するに、憲諫めて曰く、「礼に来学有るも、往教の義有る無し。今君道を賤しめ貴を畏る、竊(ひそか)に取らざるところなり」と。
王仲子は招きに応じて上京しようとした。郭憲は諫めて言った、
「礼の規定によれば、学びたい者が教える者のところに来て学ぶ、という記述はございますが、教える者が学びたい者のところに行って教える、という記述はございません。先生は今、履行すべき道理を軽視して身分の高いひとを畏れている。わたしならそんなことはしませんが」
と。
仲子は言った、
王公至重、不敢違之。
王公は至重なり、あえてこれに違わざらんや。
「王莽さまは漢の帝室にもたいへん重要視されておられる。どうしてその人の意志に違うことができようか」
郭憲は言った、
今正臨講業、且当訖事。
今まさに講業に臨まんとすれば、しばらくまさに事を訖(おわ)らしむべし。
「今はちょうど講義が始まろうとする季節です。学問関係のことに一区切りつけてからにしなされ」
「それはそうだな」
意外と風通しのいい師弟関係だったみたいです。
仲子従之、日晏乃往。
仲子これに従い、日晏にしてすなわち往く。
王仲子は郭憲の言うことに従い、数日間さぼってから、やっと長安に行った。
王莽は仲子に会って、質問した。
君来何遅。
君、来たること何ぞ遅き。
「あなた、どうしてこんなにゆっくりお見えになったですかな?」
これはお怒りになってやられるかも! だが、王仲子は特に隠し立てもせず、淡々と、
具以憲言対。
つぶさに憲の言を以て対す。
弟子の郭憲にこんなふうに言われたんです、と答えた。
「ほう」
王莽陰奇之。
王莽、陰にこれを奇とす。
王莽は、郭憲という賢者がいるらしいことを知り、内心で「これは大した男じゃぞ」と思った。
後、王莽はついに漢の帝位を簒奪して、新の国を建てた。
拝憲郎中、賜以衣服、憲受衣焚之、逃于東海之濱。
憲を郎中に拝し、賜うに衣服を以てするに、憲衣を受けてこれを焚き、東海の浜に逃る。
王莽は郭憲を中央省庁の審議官に任命し、「これからもいろいろ教えてくれるように」と衣服を賜った。憲は、服をもらうとそれをすぐに焼いてしまい、その足で黄海沿海地方に逃げてしまった。
王莽深忿恚、討逐不知所在。
王莽深く忿(いか)り恚(うら)み、討逐せんとするも所在を知らず。
王莽はその態度に激怒して、討伐して追放しようとしたが、郭憲の居場所は誰にも知られなかった。
王莽が追われ、光武帝が後漢を建国して、
求天下有道之人、乃徴憲拝博士。
天下に有道の人を求め、すなわち憲を徴して博士に拝す。
天下に道徳と方術を知る人材を求め、その中で、郭憲を呼び寄せて、「博士」に任命した。
そのころ、あの事件が起こったのでございます。・・・以下、次回のお楽しみ。
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「後漢書」列伝七十二上「方術伝」より。「あの事件」とはよくあることなのですが、世界で初めての例ではないかと思います。インドあたりには例があったかも。
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