酒為般若湯(酒は般若湯たり)(「宋稗類鈔」)
何か唱えていると涼しくなってくるかも知れません。

ハニワとハンニャは似ているではないか。
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宋の慶暦年間、都・開封のとあるお寺に、どこの所属とも知れない客僧が一人、やってきた。
呼浄人酤酒。
浄人を呼びて酒を酤わんとす。
お寺の下役の俗人を呼び、(瓶を預けて、これに)酒を買ってくるように求めた。
寺僧悪其行粗。
寺僧、その行いの粗なるを悪む。
寺の僧侶は、客僧の行動が粗野なのをいやがった。
「あいつ、目にもの見せてやらんと・・・」
そこで、
奪瓶撃庭前、其瓶百砕。酒凝着樹上如緑玉、揺之不散。
瓶を奪いて庭前に撃ち、その瓶百砕す。酒、樹上に緑の玉の如く凝着して、これを揺るがすも散ぜず。
酒を買ってきた瓶を下役から奪い取って、その瓶を百に砕いてしまった。ところが―――、中身の酒は、近くの木の枝にまるで緑の玉のように凝着してしまい、木を揺るがせても落ちて来ないのだった。
客僧は言った、
某嘗持般若経、須傾此一杯。
某嘗(つね)に般若経を持すれば、この一杯を傾くべし。
やつがれは常々、般若経を唱えておりますからね。それでこの一杯を飲むことができるのです。
言い終わって、
即諷詠瀏亮、乃将瓶就樹盛之。其酒尽酒器中、涓滴無遺。
即ち諷詠瀏亮(りゅうりょう)として、すなわち瓶を将(もち)いて樹に就きてこれを盛る。その酒ことごとく酒器中となり、涓滴も遺す無し。
すぐに(般若経を)ろうろうと唱え始めた。そして瓶(割れてない新しいもの)を持ってきて、(お酒をかぶった)樹に引っ付けてお酒を集め直した。すると、緑のたまのようになっていたお酒はすべて瓶の中にたまり、ひとかけらも遺すことはなかった。
般若(パンニャ≒知恵)の経典の力、恐れ入りました。
今、僧謂酒為般若湯、蓋因此也。
今、僧、酒を謂いて「般若湯」と為すは、けだしこれに因るか。
現代でも、お寺ではお酒のことを「般若湯」と呼んでいるのは、この故事によるのであろうか。
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清・潘永因編「宋稗類鈔」巻七「怪異篇」より。お経の力がすごいだけでどこが「怪異」なのか疑問です。お経なんだからこれぐらいの力はあるはず。期待している。がんばれ。なお、お酒の般若湯への言い換えは、これが語源ではないと思います。
近所のは、おカネは取ってました。ただし、「子どもは大人になってから払ってもいいよ」と書いてありました。般若湯のむやつはいないでしょう。
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