7月22日 暑いが、大暑過ぎたから涼しくなるぞ

東国之風(東国の風あり)(「庸閒斎筆記」)

こんな話、いまさら聞いてもしようがないんですが・・・と思ってたら、意外と今日的課題を含んでいるかも。

海賊の絵は使い勝手があるなあ。大暑も過ぎ、明日からは涼し気な風に乗って、略奪といきたいもんだぜ。

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明末の海賊・鄭芝龍は東シナ海を股にかけて活動し、日本の平戸にも根拠地を持っていて、日本人女性を女房にして嫡子・鄭成功を儲けたのであった。

芝龍は、北京の明朝が滅びたあとに、清朝勢力に抵抗した南明政権の隆武帝の時、延平郡王と国姓(朱氏)を授けられたが、機を見るに敏にしてたちまち清朝に寝返った。

ところが、夫の変節を承服しない女房は自殺、息子の成功はおやじの元部下らを集めて反清朝を旗印に挙兵し、以来、

奮蟷臂以抗顔行、雄踞台湾四十年、伝子若孫乃滅。

ああ。その行動は、

雖為周之頑民、寔殷之義士也。

康熙帝は感心して、その子孫を(逆賊ではなく)爵位を以て封じた。

これはまたすごいことであられる。

仰見如天之度、凡在遠人、無不観感。

ところで、

日本人以康公我之自出。藤森大雅有鄭延平焚儒服図詩、慷慨激昂、用采之以備東国之風。

その詩に曰く(長いので適当に中略します)、

延平郡王真男児、忠義之心確不移。一死酬恩無反顧、一木欲支大廈欹。

鄭成功は、しかし、

脱却儒衣付焚如、仰天低回瀝心血。昔為孺子今孤臣、向背去留異所遵。志業雖不遂、足為万世鼓忠義。

君不聞此子受生日域中、山川鍾秀胆気雄。又不聞母氏清操亦奇特、泉城烈死驚異域。母教自古賢哲多、何況男児性所得。

三世供奉明正朔、衣冠堂堂四十霜。永為臣子示儀表、昭回並懸日月光。

この藤森大雅先生のいう「東国の風」≒「日本人らしい行動」というのはどういうところなんでしょうか。向こう見ずに走り回っている、ということなのであろうか。あるいは一定の組織(明朝とか企業とか)に属したらあんまり所属を変えない、ということなのか。ああ、いずれぞ。

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清・陳其言「庸閒斎筆記」巻四より。日〇人ファーストの観点から、鄭成功をどうするか? もし援軍を求めてきたら、どうする? 考えてみてくだされや。

おおっと、いつの間にか肝冷斎を高く?評価する一文が付け加えられています。肝冷斎と肝冷庵は別のひとですが、今は隠棲している肝冷斎にも何とか伝えてあげたいものです。うっしっし。

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