好怪也甚(怪を好むや甚だし)(「括異志」)
変なことしかオモシロいことが無いんです。

「おカネなんてほんとは要らんのじゃ。さあさあ国民は払いなされ。心が軽くなりますぞ」。
(などと短い議論で作られた政府の予算案が国会の審議で変更されたんです。現行憲法下ではじめてなんだそうです)
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宋の時代のことですが、長白山の醴泉寺は、当時大したお寺では無かった。名刹・景徳寺の末寺で、寺の建物は、
歳久頽圮、僧行悦志欲営葺、因市大木百余章。
歳久しくして頽圮(たいひ)し、僧・行悦営葺せんことを志欲して、因りて大木百余章を市(か)えり。
随分古いものだったのであちこち崩れたり壊れたりしており、景徳寺の和尚・行悦上人は修復しようと考えて、百本以上の大木を買い集めたのであった。
有大楡、其上巨枝岐分、向因雷雨、枝間有大足迹、長僅二尺。
大楡有りて、その上は巨枝岐分し、向(さき)に雷雨に因りて枝間に大足迹有り、長二尺なるのみ。
その中に巨大なニレの木があった。この木の上の方は大きな枝が何本にも分かれていて、以前ここに雷雨があったとき、枝の間に巨大な足跡(のような傷)が着いた。長さ二尺というから、五~六十センチぐらいもあるのだ。
「どれどれ」
僧伐視之、上下如一。因断為数十百片、俾其徒偽称仏所践履、持之化誘諸郡。
僧伐りてこれを視るに、上下一なるが如し。因りて断じて数十百片となし、その徒をして仏の践履せるところと偽らしめ、これを持ちて諸郡を化誘せしめたり。
行悦和尚はこれを見て、上から下までつながっているのを確認すると、その部分をいくつにも切断して数千片に分け、関係する僧侶や檀家たちに「これはほとけさまが踏んだ場所なんです」と宣伝させて、これを持ってあちこちのいなかで勧誘をさせた。
三歳、得銭五千万、寺宇一新、頗極壮麗。
三歳、銭五千萬を得、寺宇一新して、すこぶる壮麗を極む。
三年間で、銭5000万のお布施を得て、寺の建物は一新して、たいへん壮大で華美なものとなった。
このことは、天禧年間(1017~22)の実話で、李省山人が実際にその目で見たのだそうである。ということは、宗教とか政党とかを批判して、現代に作られたお話ではないわけです。
ところで、
仏之徒以因果禍福恣行誘脇、持元元死生之柄、自王公而下、趨向者十八九、悦又能仮詭異之迹、俾夫庸柔者破帑、傾篋而甘心焉。
仏の徒は因果禍福を以て恣ままに誘脇し、元元(げんげん)の死生の柄を持ち、王公より下、趨向する者十に八九なり。悦はまたよく詭異の迹を仮り、夫(か)の庸柔者をして帑を破り篋を傾けて甘心せしむるなり。
仏教のやつらは、因果だとか運命だとかの概念を使って好き放題にひとを誘い込み、人民たちの死ぬ・生きるを選ぶレバーを持っていると称しているので、王さまや公爵さま以下、十人のうち八九人はそちらに関心を持つようになる。中でも、行悦和尚はこういう不思議なものがあるとそれを利用して、ぐだぐだしたやつらに喜んで財布を開かせ、貯金箱を傾けさせたのであった。
嗚呼、人之好怪也甚矣。
嗚呼、人の怪を好むこと、甚だしきかな。
ああ、ひとびとは、変なものをたいへん好きになってしまうものなのだ。
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宋・張師正「括異志」巻九より。最初に足跡をつけたやつは誰か。そもそも足跡はついていたのだろうか。なぞは深まるばかりです。が、もう寝ます。明日また会社あるみたいです。
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