7月19日 今日も梅雨明けなのだろう。暑かった。

不可往来(往来すべからず)(「後漢書」)

新聞読まなくても、昨日の記事のほか、チャイナの東の海上にはこんなこともわかっています。

こんなやつらもいたに違いありません。トランプさんもこんな感じなのかも。

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後漢のころですが、長江河口部の会稽から、ずっと東に海を渡ると、

有東鯷人、分為二十余国。

又有夷洲及澶洲。伝言秦始皇遣方士徐福将童男女数千人入海求蓬莱神仙、不得。

ことは「史記」に詳しい・・・いや、一緒ぐらいの詳しさの記述でしょうか。

このうち、「夷洲」は台湾に比定されているのですが、「澶洲」は日本本土、南九州や紀州ではないかという痕跡もあります。

徐福畏誅不敢還、遂止此洲、世世相承、有数万家。

人民時至会稽市。会稽東治県人有入海行遭風、流移至澶洲者、所在絶遠、不可往来。

市場まで買い出しに来るとは。爆買いしてるんでしょうか。

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「後漢書」巻八十五「東夷列伝」より。流れて行くと大変ですね。

ところで、ほぼ同時代の記録(三国・呉の沈熒「臨海水土志」)によると、

夷洲在臨海東南、去郡二千里。土地無霜雪、草木不死。四面是山渓。

そこの原住のみなさんは、

人皆髠髪穿耳。女人不穿耳。

昨日の「ひやこ」と違って、無能力なのでしょう。

土地饒沃、既生五穀、又多魚肉。

これも食ったのだと思いますが、

有犬、尾短如麕尾状。

此夷舅姑子帰臥息共一大牀、略不相避。

また、

地有銅鉄、唯用鹿格為矛以戦闘、摩礪青石以作弓矢鏃。

取生魚肉、雑貯大瓦器中、以塩鹵之、歴月所日、乃食啖之、以為上肴。

なんだそうなんです。塩からのどぎついのとか、美味そうです。ああ、なんと野蛮な人たちでありましょうか。

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