7月18日 この調子だとあと何回か梅雨明けますよ

法俗厳峻(法俗厳峻なり)(「後漢書」)

なるほど、デフレ調整とは、さすが。厳しい法の国である。

女性権力者もいろいろたいへんなのよん。おほほほ。

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後漢の建武中元二年(57)のことじゃ。

倭奴国奉貢朝賀、使人自称大夫。倭国之極南界也。

光武賜以印綬。

光武帝はこの年二月に崩じて明帝があとを継ぎますので、ほとんど晩年です。

下って、安帝の永初元年(107)には、

倭国王帥升等献生口百六十人、願請見。

これだけ見ると、王が自ら来訪しているようにも読めますが、詳しいことはわからない。

桓霊間、倭国大乱、更相攻伐、歴年無主。

そんな中で、

有一女子名曰卑彌乎、年長不嫁、事鬼神道、能以妖惑衆、於是共立為王。

このひやこのところは、

侍婢千人、少有見者、唯有男子一人給飲食、伝辞語。居処宮室楼観城柵、皆持兵守衛、法俗厳峻。

あとはあんまり情報がありません。

自女王国東度海千余里、至狗奴国。雖皆倭種、而不属女王。

一里≒410メートルで計算しました。

自女王国南四千余里至朱儒国、人長三四尺。

一尺≒23センチ。

自朱儒東南行船一年、至裸国、黒歯国。使駅所伝、極於此矣。

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「後漢書」巻八十五「東夷列伝」より。「はだか国」や「お歯黒国」まで郵便が届くとは。文明開化の音がします。

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