法俗厳峻(法俗厳峻なり)(「後漢書」)
なるほど、デフレ調整とは、さすが。厳しい法の国である。

女性権力者もいろいろたいへんなのよん。おほほほ。
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後漢の建武中元二年(57)のことじゃ。
倭奴国奉貢朝賀、使人自称大夫。倭国之極南界也。
倭奴国、奉貢して朝賀し、使人自ら「大夫」と称す。倭国の極南界なり。
倭奴国というのが土産物を持ってやってきて、朝廷において「正月、おめでとうございます」と言った。使いの者は、自分は「大夫」でしてな、と言っていた。ここは倭国の一番南のはじっこだ。
光武賜以印綬。
光武、賜うに印綬を以てす。
光武帝(在位25~57)は、印とそれにつけるヒモを遣った。
光武帝はこの年二月に崩じて明帝があとを継ぎますので、ほとんど晩年です。
下って、安帝の永初元年(107)には、
倭国王帥升等献生口百六十人、願請見。
倭国王帥升等、生口百六十人を献じて、請見せんことを願えり。
倭国王の帥升らが、生きた人間百六十人を献上してきて、面会してほしいと願ってきた。
これだけ見ると、王が自ら来訪しているようにも読めますが、詳しいことはわからない。
桓霊間、倭国大乱、更相攻伐、歴年無主。
桓・霊の間、倭国大乱し、更(かわ)るがわる相攻伐して歴年主無し。
桓帝(在位147~167)、霊帝(在位167~189)の期間に、倭国は大いに乱れて、たがいに攻撃しあって、長い間一人の君主を持つという状態になかった。
そんな中で、
有一女子名曰卑彌乎、年長不嫁、事鬼神道、能以妖惑衆、於是共立為王。
一女子、名の「卑彌乎」と曰う有り、年長ずれど嫁さず、鬼神の道に事(つか)え、能く妖を以て衆を惑わし、ここにおいて共に立てて王と為す。
「ひやこ?ひみこ?」という名前の女がいて、年齢はだいぶん行っていたが嫁にも行かず、鬼神の道に奉仕して、妖しい能力で民草どもをだまくらかした。そこで、みんなでこの女を王に立てた。
このひやこのところは、
侍婢千人、少有見者、唯有男子一人給飲食、伝辞語。居処宮室楼観城柵、皆持兵守衛、法俗厳峻。
侍婢千人、見る有る者少なく、ただ男子一人のみ有りて飲食を給し、辞語を伝う。居るところの宮室楼観城柵、みな兵を持して守衛し、法俗厳峻なり。
侍女が千人もいて、直接会ったことがある者はほとんどおらず、ただ一人、こいつは男ですが、こいつだけが、女王に飲み物・食べ物を差し上げ、言葉を伝えることができた。女王の居所の建物、高層の建物、外壁、柵、どこもかしこも武器を持った兵士が守衛しており、法規を守る文化はかなり厳格である。
あとはあんまり情報がありません。
自女王国東度海千余里、至狗奴国。雖皆倭種、而不属女王。
女王国より東に海を度ること千余里、狗奴国に至る。みな倭種といえども、女王に属さず。
女王国から東へ、海を渡って400キロ以上行くと、狗奴国(くな国?こうど国?)というところに着く。こいつらはみんな倭の同一民族だが、女王には従っていない。
一里≒410メートルで計算しました。
自女王国南四千余里至朱儒国、人長三四尺。
女王国より南四千余里、朱儒国に至る。人の長(たけ)三四尺なり。
女王国から南に400キロ以上行くと、朱儒国(こびとの国)に到達する。この国のひとは身長80~100センチぐらい。
一尺≒23センチ。
自朱儒東南行船一年、至裸国、黒歯国。使駅所伝、極於此矣。
朱儒より東南に船を行かせること一年、裸国、黒歯国に至る。使駅の伝うるところ、ここに極まれり。
朱儒(こびと)国から東南に向けて船で出かけると、一年で「はだか国」「おはぐろ国」に到着する。郵便局が知っていることは、ここまでとなっている。
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「後漢書」巻八十五「東夷列伝」より。「はだか国」や「お歯黒国」まで郵便が届くとは。文明開化の音がします。
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